ある冬の日に
真田弦一郎がに出会ったのは、小学校高学年に上がる少しばかり前。
粉雪の舞う、冬の日のことだった。
祖父の元弟子だと言う女性が、小さな少女を引き連れて道場を訪ねてきたのが始まりだったと覚えている。道場で練習する自分達に、しばらく見学させて欲しいと言って、真田の祖父に目通りを願ったのだ。
懐かしい顔を喜び、祖父は二つ返事でうなづいた。何ならお前も打っていくかと軽口を叩く祖父を、珍しく思って見た覚えがある。
そんな言葉を引き出すほどその女性は祖父のお気に入りだったのだろうか?
真田は不思議な思いで相手を見つめたものだった。
そんな相手だったからだろうか。女性が連れてきた少女を見て、お嬢ちゃんは庭ででも遊んでくるか、と祖父が珍しい気遣いを見せた。
穏やかな祖父の微笑みに、今日は珍しいものばかりだと弦一郎は目を疑った。そう思わざるをえないほど、道場にいる時の祖父は厳格な空気に包まれている。
それを打ち払ってしまうほどの所業を成し遂げたというのに、少女の表情はひとつも動かなかった。恐ろしいほど冷静に、丁寧に、祖父の提案を辞退した。
「お気遣い痛み入ります。ですが私も武道をたしなむ身でありますれば、宜しければ母と共に見学させていただきたいと思っております」
そう言って、深々と頭を下げる。
自分も常々、同年代の少年少女達に比べてやや堅苦しい言葉を使う方だと自覚していた弦一郎であっても、一瞬耳を疑った。とてもこの年頃の少女の言葉とは思えない。ある種、時代錯誤的な言動だったのだ。
そんな少女を、祖父はほほぅと目を細めて注視した。
「手間をかけます」
そう言って軽く会釈する相手に、弦一郎は戸惑いながらうなづいた。こちらだ、と短く告げ庭に案内する。
彼女の母は今祖父と歓談中だ。昔の話に花を咲かせる二人は子供は子供同士で、と静かに目を伏せる彼女を弦一郎に押し付け、部屋の外に放り出したのだ。
女性と会話することが苦手な弦一郎だ。困ったことになった、と内心身構えていた。
すると、それを察したのだろうか。先手を打ってきたのは少女の方であった。申し訳ないと頭を下げ、一人で大丈夫だからと辞退を申し出てきたのだ。
けれどまさか。祖父の客人を粗末に扱うなどできるはずが無い。いや、案内しよう、と尻込みする気持ちを叱咤して、弦一郎は気持ちも新たに歩き出した。ふ、と少女が息を吐いた事には気付かずに。
なにぶん、小学生のやることだ。リードされたなんてこれっぽっちも気付いていない。
意気揚々と歩を進め、少女を庭まで案内する。少女は庭についてからも静かで、特に何かを言うことも無かった。ただ静かに、雪の舞う庭の姿を見つめていた。
――まるで人形のようだ。
感情を移さない少女の瞳を見て弦一郎は思った。
平常心。まさにその体現者のような少女だった。道場での練習を見学中でも、少女は眉一つ動かさなかったのだ。
居合いの練習では真剣も使う。それを目の当たりにした時、慣れない人間なら刀に対する恐れであったり興味であったり、何かしら反応を示すものだ。なのに、少女には一切無かった。祖父が刀を構える姿など、見慣れた自分ですら息を呑むものがあるのに。彼女は微動だにせず、だた黙ってそれを見ていた。
何事にも動じない心。
武を行うものには必ず必要となるものであるが、彼女のそれは弦一郎にはそうは見えなかった。ただの人形のように。
心が無いのではないか? そう考えてしまうほど、彼女の存在は硬質だった。
「弦一郎殿は」
殿、と来た。
弦一郎は祖父の愛読している時代小説の中に入り込んだような気がして、一瞬、返事が遅れた。
「弦一郎殿は、私と同い年ぐらいですよね?」
「――そうだな」
「そうですか……」
結局、その日彼女と交わした会話はそれだけだった。
その後何度か道場を訪ねてくる彼女と会話を重ねる内に、少しづつ交わす言葉が増えていって(途中で殿は止めてくれと頼んで)ようやくそれらしい会話ができるようになった。そんな頃に。
「立海大付属?」
「スポーツの名門校だ。設備も整っていて運動をするのに最適な環境らしい」
「源一郎はそこに通うのつもりなのか?」
「ああ」
「……」
ぱらぱらと、彼女は自分が持ってきたパンフレットをめくっている。
慣れてくると、彼女は単に古風なだけで無く、、男勝りな言葉を使うことに気づいた。女なのだから少し改めてはと言ってはみたが、そのうちにと肩をすくめるだけで一行に改善の兆しは見えない。釈然としない思いもしたものだったが、動きに品があるため粗雑な印象にならないのが不幸中の幸いかと、今では思うようになった。
「弓道部もあるのか」
視線も上げずにパンフレットに見入っている。あまり物事に興味を示さない彼女にしては珍しいこともあるものだ。弦一郎は眉を上げた。
「は弓もやるのか?」
「嗜(たしな)む程度になら」
顔も上げずに写真に見入る彼女がひどく新鮮だった。無表情のようでいて、けれど瞳だけは何かを訴えていた。羨望か、渇望か。
読み取ることはできなかったが、その姿が、源一郎の胸に妙に印象に残って。
だからかもしれない。非常に自分らしからぬことを言ってしまったのは。
「お前も来るか?」
あの時の祖父のようだ。源一郎は彼女が始めて道場に来た日のことを思い出した。
めったに軽口を出さない祖父。その祖父があの時に誘ったのは彼女の母親だった。不思議な巡り合わせだ。口に出してからふと、源一郎は思った。
あの時の祖父の誘いは、苦笑と共に断られた。きっと今回もそうなるだろう。半ば確信していたのだが――。
「――いいのか?」
黒い瞳を大きく見開いて、恐ろしく無防備には顔を上げた。普段から隙を見せることの無い彼女にしては珍しいことだった。
「お前こそ、いいのか?」
あまりに簡単に話し話しに乗ってきたから、逆にこちらが驚いた。そんな弦一郎に「前から考えてたことだから」と彼女は首を振る。
「どこに行こうか、迷っていたんだ。弦一郎が一緒なら、心強い」
心強い、とは。
冷静かつ度胸もあり、その上腕も立つ彼女の言葉とは思えない。何の冗談だ、と真田は目の前の少女をまじまじと見つめてしまった。
珍しく頬を緩めた彼女はすでに弦一郎から目を離し、また視線をパンフレットに戻していた。どうやら照れているらしい。
――珍しい。今日は本当に珍しい日だ。
ぽかぽかとした陽気の当たる日。
すっかり花の色づいた真田家の庭。その縁側で、何となく顔を赤くした源一郎とは、しばし無言で同じ時を過ごしていた。
特待生枠をもぎってきた、と今日の天気について話すように告げる彼女に「春からクラスメートだな」と珍しく表情を緩める弦一郎の姿が見られるのは、それからしばらく後の事になる。
学校20題「20 風紀委員長様のご提案」