ソラ駆ける虹
16
言葉を失った。一瞬、何を言われているのか理解できなかった。
ひとつ鼓動が鳴って。
じわりと、その意味が染みてくる。……好き? 誰が? 彼女が?――――ボクを?
何を言っているのか理解できなかった。ばかばかしい。笑えないにも程がある。
そんなこと、あるはずが無い。
何を勘違いしたのか。熱に浮かされたようにすり寄ってくる<望まれた者達>(にんげん)は、反吐が出るほど嫌いだった。愛だの、恋だの、くだらない。そんなものはただの思い込みだ。独りよがりのエゴでしかない。好きな奴らだけで勝手にやっていればいい。
思い出したかのように訪れる災難を、シンクはひどく嫌悪していた。
こちらの事を見る事も無く、ただ押し付けてくる、はた迷惑な行為。
シンクにとって、近寄ってくる人間は、全てそんな対象でしかなかった。――何も知らないくせに。
いつもなら嘲笑で返す言葉だ。今までだって、媚びたように近づく者すべて、辛辣な言葉で跳ね除けていた。今回も同じだ。「二度と近づくな」。一言、そう告げればよいだけのこと。それだけのことだったはずなのに――。
その時なぜか、シンクは動けずにいた。体を駆けた感覚に。顔に昇った、ほのかな熱に。
そして急速にその意味を理解した。
「――ははっ!」
自覚したのは一瞬。けれど、それを認めることはできなかった。
どうしても。絶対に、だ。
「急に、何? 同情でもしているつもり?」
出た言葉は鋭い棘(とげ)をまとっていた。脆弱な心を守る硬質な刃を。
「レプリカだから? かわいそうだとでも言いたいわけ?」
過去に見た、自分に向けられた哀れみの視線を思い出す。
見当違いなその感情。本当に愚かしい、彼らの言葉を。
同情は嫌いだ。奴らは人を哀れむことで、自分の優位を確認する。
「かわいそうに」「不憫な」。そんな言葉の裏でひそかに思う。――ああ良かった。コレに比べたら自分はマシだ。
そうして優越感で満たされた余裕から、さも慈悲深そうな顔を作ってこう言うのだ。大丈夫。私はあなたを差別したりしないわ、と。
そう言う奴ほど、心の奥底で明確に区別していると言うのに。
自分と、自分の自尊心を満たしてくれる『可哀相な生き物たち』を。
彼女も『そうだ』と思った。そう思い込もうとした。
何かを言おうと口を開く彼女を止めて、鋭く睨む。
ちがう、と抱きとめたままのシンクの袖を握る彼女を、突き飛ばすように引き剥がした。
それ以上触れていたら、何を口走るか分からなかった。
「違うって? それじゃあ、導師にでも頼まれたのかい? 丸め込め、って。……は! まさかね。あのお綺麗なレプリカが、君にそんなこと言うはずがない」
愕然と目を見開く彼女を追い詰めるように、わざと辛辣な言葉を口にする。
認めるわけにはいかない。騙されるわけにはいかない。そんなこと、あるはず無い。
空っぽな自分に、そんな意味など有りはしないのだ。
「とにかく、目障りなんだよ」
傷ついた瞳を振り切るように、シンクは彼女に背を向けた。
どうして。どうして。どうして!
どうして今さら、そんなことを言うのか。どうして、今になって、ボクの前に現れるのか。
痛みと共に、さやさやと胸をくすぐる『何か』を、認めるわけにはいかなかった。嫌なんだ。もう。
まぶたの裏にくっきり浮かぶ。
焼けた空。
くすぶる炎。
ドロドロにただれた溶岩の火口。
投げ込まれる人影。
信じてきた全てが否定された、あの灼熱の火山――。
あの日すべてを失った。いや、『失うものすら無かったこと』に、ようやく気づいた。ここで処分されても、誰も気づかない。当然だ。自分達は代用品<レプリカ>だ。代わりなどいくらでもいる。ただの肉の塊としての意味しか持たない存在など、いくら捨てても構わない。
ゴミなのだ。
そうしてシンクは一つの答えを出した。この身はヒトガタ<人形>。名は記号。いくらでも替えのきく、ただの駒。必要なくなれば処分される。それだけのモノだ。
ぬくもりから話された腕が、忍び寄る冷気に寒さを訴える。――雨だ。涙のように細い雨が降っている。
水滴がひとつ、頬を伝った。
離された腕が、熱を求めて、うずいて止まない。
まとわりついて離れないこの感覚は、引き止めているのか。離れがたいのか。
その答えから、シンクは目をそらした。