ソラ駆ける虹

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「――っ、シンク!?」

 苦痛にゆらぐ世界の中で、誰かの声が鮮烈に響いた。思わず、詰めた息を吐き出す。
 体を駆け巡る言いようの無い痛みに、全身がこわばった。息が、歪む。
 病に冒された<導師イオン>(オリジナル)を基礎としたせいか、彼らレプリカにはこういった症状がたまに起きる。そのほとんどは一過性のものだ。ほんの数分、痛みに耐えれば発作はおさまる。
 だが最近、その苦痛の時間は長くなっていた。反比例して、痛みが起きる間隔が短くなっている。

 ――蝕(むしば)まれている。

 そんな言葉が頭に浮かぶ。

「シンク! シンク!!」

 泣きそうな声が、すぐそばで聞こえた。背中に添えられた暖かな手。
 うっすら目を開けると彼女がいた。覗き込む顔。不安に揺らぐ瞳。その視線がシンクと合うと、ほんの少し安心したようにゆるむ。

 なんだ、夢か。

 唐突に理解した。どうりで、都合よく出来ている。こんなこと、現実であるはずが無い。屑(くず)の身を案じるものなど、この世界には存在しない。
 そっと頬に手が触れたのを感じる。――あたたかい。
 彼女がこんなに近くにいるのも、心配そうに額に優しく触れるのも、夢ならば納得がいった。ひどく、残酷な夢だ。目覚めれば消える。それが分かっていても、束の間のぬくもりにすがってしまう。現実では、決して、もたらされることの無いものだから。
 ぐらりと視界が揺れた。ようやく薬が効いてきたようだ。苦痛を感じた瞬間に飲んだ鎮痛剤。副作用は強力な眠気。
 ――薬が効いてきた?今になって?……だったら、これは――。

 ひどい眠気に意識が集中できない。
 確かめるため伸ばした手を、取ったのは、誰だったのだろうか?






 目を開けて驚いた。
 夢だとばかり思っていた彼女が、現実に自分の天幕にいたからだ。

「……何?」

 寝首でも掻きに来たのかと聞く。我ながら意地の悪い言葉だと思ったが、そんな言葉は耳にも入っていないかのように彼女はほっと息を吐いた。目が赤い。顔色も悪かった。
 もしかして、眠っていないんじゃないか?
 眉を寄せたとき、妙な違和感を感じた。

 なぜ、彼女の顔が、真上にある?

 いつの間にか、自分は寝台に横になっていた。――舌打ちと共に体を起こす。思い出した。発作を起こして、倒れたのだ。
 だとしても、こんなに近くに他人がいる状態で、無防備な姿をさらしていたのか。
 再度寝かしつけようとする彼女の手を跳ね除けて、床に足を付ける。大丈夫だ。痛みはない。どうやら発作はおさまったらしい。

「無理しないで」

 心配そうに様子をうかがう彼女に視線を向けた。――心配? 何だ、それは。冗談にしても性質が悪い。『誰を』心配すると言うのだ。ありえない。
 不快な気持ちを代弁するように顔がゆがんだ。すると彼女はそれを苦痛によるものと思ったらしい。はらはらとした様子で手を伸ばしてきた。

「やっぱり、無理をしているんじゃない? 昼間はずっと預言(スコア)を詠んでいたのでしょう?」

 水は? とか、何か食べ物いる? とか、ちょこまかと周りをうろつく彼女を見て、妙な既視感を感じた。どこかで、似たような情景を見たような……。

 思い至った記憶に、ぐしゃりと心が歪む。
 ああ、覚えがある。自分は遠くから彼女を見ていた。そうだ。あの時、彼女の隣にいたのは。

「関係ないでしょ。――ああ、それとも」

 邪魔したいの?
 そう言って、口の端で嘲(あざけ)るように笑った。イオンなら絶対しない、そんな表情で。

 覚えている。あれは、彼女がまだダアトにいた頃のことだ。イオンの代行をした時、偶然出会った不思議な人。

『あれ? 君――』

 もう一度話をしてみたくて、レプリカの置かれた研究室を抜け出した。見つからないように、こっそりと。人の目を避けてたどり着いた、その先で。
 そこにいたのは彼女と、そして当然のように寄り添う<オリジナル>(イオン)の姿だった。

 ――ばかばかしい。本当に、今さら。

 代用品なんてごめんだ。そんなの、<七番目のレプリカ>(イオン)に任せておけばいい。どうせボクは、彼女の求める『イオン』にはなれない。装ったところで、見破られる。最初からそうだった。

 いよいよ導師の病状が思わしくなく、どのレプリカを使うか決める段階だった。これは、と思うモノを、試験的に導師と入れ替えたのだ。
 もちろん導師と親しい人間とは、接触しないように配慮してあったはずだ。あくまで実験だったのだ。短い時間、どれだけ回りに不信感を与えずに振舞えるかという。
 おおむねそれは成功した。そして研究室に戻る途中、何の偶然か、彼女に出会った。
 とっさに導師を演じた。騙しとおせると思っていた。短く挨拶を交わし立ち去るだけ。それなら疑われようが無い。それなのに、その一瞬で、彼女は導師とシンクの違いを見抜いてしまったのだ。

『どうしてイオンの真似をしているの?』

 不思議そうに尋ねる彼女に、自分は何と返したのだろう――?



「ああ、邪魔するよ!」

 怒りが爆発したような声が響いた。彼女だ。何をそんなに怒っているのか。

「体に悪いんでしょう?」

 言われた言葉が理解できなかった。だから何だと言うのか。アンタには関係ないだろう。
 そう言うと、さらに彼女の表情が険しくなった。反射的に声を上げようとして、すんでの所で我に返る。ひとつ呼吸をして、絞るように言った。

「体に悪いんでしょう? 聞いたよ。導師が使う術は、体にすごい負担になるって」

 激情を押し殺しているせいか、その声は震えていた。良く見れば声どころか、手も、足も震えている。馬鹿だな、力みすぎだ。
 止まった思考の片隅で、そんな些細なことを考えた。

「ボクは、アイツとは違う」

 病弱なイオンとは違う。導師としての類似性では負けたが、身体的な作りはシンクの方が丈夫に出来ているのだ。術を使うたびに倒れるような柔(やわ)な体では、六神将など務まらない。
 <オリジナル・七番目>(イオン)とは違うと言うシンクに、は憮然とした表情で言った。――当たり前でしょう、と。

「それでも、負担がかかる事は変わりないんでしょう? 今だって、倒れていたし」

 あれはダアト式譜術を使ったせいではない。そう言おうとしたけれど、ついには言葉に出来なかった。

「覚悟して」

 鮮烈な瞳が、真っ直ぐこちらを見据えている。君が、心配なんだ。だから――。

「絶対に、邪魔するから」

 そう高らかに宣言して、彼女は意気揚々と帰って行った。見送るシンクは、何も言えずただ一人、呆然とたたずむ。信じない。信じられない。そんな感情とはうらはらに。

「何…を、言ってるんだ」

 指先まで駆ける電流のような感触が、ひどくうずいて止まらなかった。


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