ソラ駆ける虹

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 入り口で別れて正解だった。
 奥に進むにつれ、はその思いを強くした。――魔物だ。姿は見えないが、非常に強い魔物の気配が感じ取れる。
 幸いなことに、すでに気配すら希薄になっているには気づいていないようだった。でなければ、あの闇の中から聞こえてくる薄気味悪い声の主に、取って喰われていただろう。爺さんを連れて来なくて本当に良かった。ほっと息をつく。

 あの爺さんのことだから、年寄り扱いするなと言って、無茶しそうだし――。その姿が目の前に浮かんできて、こんな状況なのに、はくすりと笑った。

 歩いて、歩いて。

「……どう、しよう」

 たどり着いたと思った場所には、何も無かった。ただの行き止まり。トンネルを掘り続けて、途中で諦めましたとでも言わんばかりの、殺風景な行き止まりだ。――引き返そうか? 一瞬、そんな考えが頭を過ぎる。その時。

「――――っ!!」

 大地が揺れた。
 構える暇も無かった。ついさっきまで、確かにあった地面が割れる。突如、浮遊感が襲った。
 地面が無い。
 投げ出された体は、深い深淵の中に、音も無く吸い込まれていった。





 砂漠ので別れた後、シンクは、彼女とはもう会うことも無いだろうと思っていた。
 ただ胸にうずく『何か』を押さえつけて。彼は平穏を取り戻した。

 いつも通り、からくり人形のように。

 与えられた仕事をこなしていた。それだけしか、不良品だった自分に価値は無い。
 その最中だ。やはり彼女は唐突に、シンクの前に現れた。

『どうして――』

 そう問いかけたのは、なぜだったのだろう。むしろ、自分の行動こそが、どうしてだった。教会の前で怪我をしてしゃがみ込む彼女を引っ張って、この部屋まで連れて来たのは自分である。
 ……関わるべきではなかった。
 早く港に行かなければ。自分の到着を、部下達は待っているというのに。

 封呪(ふうじゅ)を受けて横たわる彼女を見て、どうして自分がこんなことをしたのか理解が出来なかった。――殺してしまえば良かったんだ。目障りで、そばにいると心が騒ぐ。不快感がこみ上げる。
 なのに、どうして――。



 『どうして』
 その思いが最も強くなったのは、あの雨の町で、再び彼女と再会した時のことだった。

「君のことが、好き、だから」

 意味が分からなかった。彼女は、<イオン>のものだ。微笑む彼女の隣にいたのは、いつも、導師イオンだった。それなのに。そんなこと、あるはずが無いのに。

 そう思いながらも、何ということだろう。
 自分は確かに、『嬉しい』と思ってしまったのだ。好きだといわれたことに。彼女に、求められたことに。

 だが、それも一瞬の事だった。
 すぐに冷静になった頭が考え始める。彼女は、何か思い違いをしているのだ。大切なイオン<オリジナル>を無くした、その埋め合わせかもしれない。イオンと同じこの顔は、彼女が無くした心の隙間を埋めるには、うってつけだっただろうから。

 それをまざまざと実感したのは、七番目のイオンの死を告げた時だった。泣き叫ぶ彼女を前に、シンクは導師を演じた。錯乱した彼女には、そうすることが一番効果的だろうと思ったからだ。

 ……本当は、少し、期待していたのかもしれない。導師を演じるシンクを彼女が受けれいれてくれればいいと。あの日に見た二人のように、自分も光の中にいられるんじゃないか、と。

 けれどそんなわずかな希望すら打ち砕くように、彼女は無情にも言った。「きみは、君だ」と。

 ――どうして。

 どうして、こうも思い通りになってはくれない。いつも、いつも。
 拒絶される。不用品だと捨てられる。仮面で己を隠し、偽りの中で。
 体は劣化した模造品。感情など認められるはずも無かった。ならば、と。求められる姿を演じてきた。本当は――。
 繰り返し思い描くのは、中庭の二人<オリジナル>。テオルの森で寄り添う二人<七番目>。


 あんなふうになりたかっただけのかもしれない。だれかをもとめ、もとめられて。


 けれどそれは、到底叶わない願いだった。彼女が求めるのは、シンクではなかった。それに。

『導師イオンは死ぬ』

 預言(スコア)からは逃れられない。小さな歪みすらも内包して、ユリアの預言は終末へと進む。……そう、死ぬのだ。誰<レプリカ>もが。





 今は、不思議なほどの心は静かだった。彼女の傍にいた時に感じた、津波のような感情はすっかり消えてしまったようだ。さざ波すら感じない。
 ぽっかりと穴の空いた体に残ったのは、世界に対する憎悪と、絶望。それらが今のシンクを動す全てだった。からくり人形のように、世界の操る糸に吊られて、くるくる踊る。けれどいつかは、壊れる日がやってくる。それが、作られたものの限界だ。


 複数の話し声と足音。それらを聞いて、シンクは見上げた空から目をそらした。侵入者がどうやらここまでたどり着いたらしい。
 対するシンクは一人だった。神託の盾<オラクル>を連れて行くようリグレットには言われたが、不要だと置いてきた。邪魔になるだけだと思ったからだ。

 ここは栄光の大地。空中要塞エルドラント、その一角にある、崩壊したホドの町だった。中途半端に再生された町は瓦礫にまみれている。不完全な町に、欠陥品のレプリカ。これ以上、自分に相応しいステージは無いだろう。シンクは皮肉に笑う。

 さて、どうやって彼らを迎えようか……。考えて、ふと、シンクは空を見上げた。

 近くにあるはずの空は、なぜか、ひどく遠くに見えた。



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