繰り返される記憶

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 ――ゆるゆると。

 己の命の灯火が薄れていくのが分かった。それはまるで細い糸のように、掴もうとしても指の隙間からするりと抜ける。
 垂らされた糸は次第に細く、薄くなり、そしてその意味を分かっていても、振り返る事は許されない。

 くつりと、口の端が歪んだ。
 もとより覚悟の上での契約だ。多大な力を得るのに代償が必要なのは当然のこと。その定められた螺旋から逃れるには、人の力はあまりに無力だ。

「……なおも求めるか、破魂刀よ」

 傍らには、今だ鳴き声を上げる二振りの剣の姿があった。薄闇の中でなお鳴り響くその声は、戦を重ね、魂を食らうほど大きさを増していく。
 切れば切るほど、その声は深く、大きくなる。まるで奪った命がそのままこの刀に取り込まれ、終わらぬ苦行に怨嗟の声を上げているようだ。

「望むか?――心配するな。いずれ、俺もその中だ」

 ひっそりと忍人はつぶやいた。
 巡り続ける業の連鎖だ。前の使い手もそうであっただろうし、おそらく次の使い手も、またその次の使い手も、何かの理由を掲げて剣を手に取るのだろう。戦うことでしか願いを叶える術(すべ)を自分達は知らない。
 そしてまた、多くの命を奪い、最期には命を削られ死んでいくのだ。それを知っていてなお、この呪われた力を手放せない。

 鳴く声が、ひときわ大きく響く。
 今すぐ手に入らない不満か、それともその時はもうすぐそこだと知らせる歓喜の声か。
 そのどちらかは忍人には判断がつかなかった。そんなことは、もうどうでも良かった。ただ、ひどく、体が重くて。

 だめだ、まだ、俺は――。

 ぐらりと視界が揺らぐ。削られた魂は、壁にもたれかかる力すら無くしてしまった。ずるずると地に沈む意識の果てに、深い深淵が見えた気がして。

 覚悟していたことだったのに、どんな魔が刺したのか、ふと空を仰いでしまった。
 そしてそこに、金色の光の揺らめきが現れ。

「――忍人さん!」

 声がした。懐かしい声だ。どこかで、聞いた事のある声だった。

「忍人さん、しっかりして!」

 柔らかな手の感触が、冷たい淵に沈むこの身を引き戻すかのように掴む。細く垂らされた糸が、するすると忍人の体に伸びてくる。

 糸が、つながった。



「……君、か」

 それは長きに渡って行方をくらませていた豊葦原の皇女だった。薄暗がりの中、必死の形相で、崩れかかる忍人の体を支えている。

「無理しないでください。まる一日も眠った後なんですから」

 言って、壁に背を預ける忍人に付き合う形で地面に座りこむ。
 人を呼びに行こうとするのは止めさせた。そんなことをしても無駄だと分かっていたからだ。
 息を整え、ようやく少し落ち着いた。
 血の気を取り戻した忍人の様子に、千尋はほっと表情を緩めた。その顔は、ここ数日の心痛のためか、ひどくやつれていて。

 こんな瑣末なことに――将の一人が倒れただけなのに、ひどく心を揺らす彼女に、まだ甘い、と苦い思いがこみ上げた。
 けれどそんな彼女に、不思議と前ほど苛立たしい気持は沸いては来なくて。

 なぜだろうかと思った。おそらく、それを補うほどの器を彼女が示したからだろう。
 近頃の彼女は、姫としての自覚も芽生え、いつも凛々しい面持ちで思慮深い発言を口にするようになっていた。
 大軍を率いる将として、背負う覚悟を持ち、部下を律することも厭わない。そんな王たる人物までになった。
 いや、元からそうだったのだろう。ただ、その一面を自分が見ていなかっただけで――。

 きっと、良い王になる。

 それは、確かな記憶だった。





 遠い日が見えた。
 良く晴れた日だった。気持ちの良い風が吹いていた。
 隣には、嬉しそうに笑う、誰かの姿があった。その笑顔に、ひどく心に満ちる思いがあった。
 取り戻したかったのは――切り開き、掴むべきは、あの日々だ。

「ああ」

 記憶を辿って、忍人は目を伏せた。けれどその光は、急速に時間の中に埋もれて消えていった。
 最期に見えたのは、はらりと舞い落ちる、幾枚もの花びらで。

「大丈夫だ」

 心配そうに身を乗り出す千尋を制して、忍人はゆっくりと立ち上がった。
 遠い記憶の先にある、あの国を取り戻すため。



 俺はまだ死ねない。




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