にゃんこ天国
王様と私
私の名前は。性別、女(おんな)。体毛は白。
現在BL学園学生寮の一室を間借りしている、どこにでもいる一匹の猫だ。
ん? 猫の性別なら『女(おんな)』じゃなく『メス』が正しいんじゃないかって?
――――よくぞ聞いてくれました!!!
これには聞くも涙。語るも涙の長いなが〜いお話があるんですよ。
まず最初に言っておくと『性別、女(おんな)』。これ、間違いじゃありません。正真正銘、真実です。
なぜなら私は、ほんの2週間前までは、本当に普通の、どこにでもいるような平凡な一人の人間だったのですから……。
どうしてこんなことになったのか、正直今でもさっぱり分からない。
ただ覚えてるのは、突然の浮遊感。そして、落下。
はっきりと意識を取り戻したのは、地面に叩きつけられた痛みを感じた時だった。
「――は! ぁ……?」
突然襲った激痛に、私は言葉も無く身もだえた。
全身がばらばらになったような衝撃だった。
感覚としては永遠だったが、実際には一瞬だったのだろう。
少しして、痛みが落ち着いたとき、まず最初に頭に浮かんだのは現状に対する不信感。
ここ、は……?
薄暗い室内の中、非難経路を示す電光の明りだけが視界をかすめる。
鈍い痛みを訴える体に鞭を打ち、よろよろと体を起こす。
腕に何か当たった気がした。手探りにそれにつかまろうとして、指先に何かの感触、が――。
「え……?」
――っ熱い!!
どこかでガラスの割れるような音がした。
液体が身を包むと同時に、炎の中に投げ出されたような熱が全身に走る。
息が苦しい!
前が見えない!!
とにかく無我夢中で限り駆けずり回った。何か体を冷やすものは無いか、と。
それに該当しないものは、全て目の前を通り過ぎた。
そして。
(は、ははは……)
気がついたときには、小さな水溜りの中にいた。落ちるしずくが水面を揺らす。
水滴の行く末。その先に。
変わり果てた自分の姿があった――。
(まさか猫になる日が来ようとは……)
苦い息がこみ上げてきた。それを吐き出すために「にゃうー」と息を吐く。
ほてりと視界に映る自分の白い足が、なんだかとっても目に染みる。
あの後。……まあ、何だ。色々あって。
結局、現在の身元引受人、兼……飼い主(とはあまり考えたくないんだが)である伊藤啓太君の所に身を寄せることとなった。
個室。冷暖房完備。三食昼寝付きってんだから、これ以上の好待遇は無いだろう。ついでに飼い主の啓太は、ひどくお人よし……じゃなくて、今時珍しいくらい心優しい学生さんだったから。
非常に快適な生活を送らせてもらってる。どうやら猫好きらしく、寝台を共にすることを望まれたときは正直びびったが……。そこは良い。まだ、そこは良いんだ。
が、なんと言おうか。
――ありていに言うと、啓太のそばはひどく疲れる場所だった。
彼のお友達は個性的な人物がそろいにそろい過ぎていて……。常識人を自称する私にとっては、精神的にとってもつらい場所だったんだんだ。そりゃもう、本当に。
例えば……誰とは言わないが、やたらめったらとスキンシップをする奴がいたりして。
全身の毛を逆立てて抗議てみたたが、全く効果は無かった。今の私はただの猫。文句なんて言えるはずもなく(ちなみに、言っても通じない)、仕方なく逃げてみたところで、四速歩行に慣れ無い私では、体力が有り余ってる男子高校生に勝てるはずも無かった。
泣きたい。というか泣いた。もうやだ誰かたすけて……!
ふっ。なんて思ってたのも、今や昔の話だ。半年近くも立つと、さすがに慣れた。人間とは慣れの動物(いきもの)である。今は私、猫だけど。
……とにかく!
今、私は、この学園で生活しているのである。
直前で散々泣きを入れておいて何だが、こんな私でも、幸いなことに身構える無いで相対できる人だっている。
が、しかし……。
なぜ、いつもこの人は、こんな必死な形相をしているのだろうか?
王様を見る時、はいつもそう思う。
「い、いいか! 動くなよ! 鳴くなよそっちから近づくなよ! あ、つーかこっち見るな! 眼! その眼も嫌なんだよ俺は!」
――だったら近寄らなければ良いのだ。
ブルブルと手を伸ばす王様を見て、はそう思った。
芝生の上にのってりと座り込み、眼前の男の手の行方を見守る。
真っ青な顔をした王様は、全身をガクブルさせながらも、逃げたりせず、今なおに触れようと手を伸ばしている。
その根性はあっぱれ。だけど――。
「ひっ! う、動くなよ!」
ぐりんと目を向けただけで、王様は光の速さで手を引っ込めた。同時に、目にも留まらぬ速さで1mほど後ろに逃げる。
でかい図体をしているくせに、なんと情けない。
ちんまりとした猫一匹を警戒しているその姿は、ひどく哀れに映った。
なんだかなーと思いつつ、にゃあと一声。
そしてサービスで丁寧にブラッシングされた尻尾で軽く膝を撫でてみたら。
……あ、気絶した。
王様は眼を開いたまま気を失っていた。
毎度毎度の事ながら、進歩の無いその反応に苦いため息がもれた。『ネコってため息つけるんだ〜』なんてのんきな感想は、出てすら来ない。というか、飽き飽きするほど何度も繰り返したこの攻防(にすらなっていないが)で、すでに経験し尽くしてしまった。
「ネコ……ねコ……ねこ……」
壊れたスピーカーみたいにぶつぶつつぶやく王様を残して、はのてのて歩き出した。ちょっと肩が沈んでいるのは勘弁して欲しい。ここまで完璧に拒絶されたら、誰だって(猫だって)落ち込むものだ。それも、気に入っている人間相手なのだから、なおさら――。
「……にゃあ(早く慣れてね。王様)」
ガクガク震えるだけの相手を背に、はとぼとぼとその場を後にする。
猫の片思いは、実る気配も無い。