アスタリスク

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「……」
「…………」

 気まずい。

 辺りを包む空気の重苦しさに、身じろぎすらはばかられるようだ。すいません深呼吸してもいいですか? ――だめですか。はい分かりました。
 美人さんと別れてその姿が見えなくあった後、彼の歩く速度が一気に速くなった。突然の速度変化についていけず、私はつんのめりそうになりながら、それに従う。だって腕つかまれたままだし。
 まるで犯罪者を連行するかのような力の込めようだ。しかも終始無言。顔は見えない。
 少年は一言も話さず、ちらともこちらを見ず、一心不乱に歩き続けた。




 ようやく一息ついたのは、逃げるようにあの場を後にしてから、5分ぐらい歩き続けてからのことだった。
 さっきの通路で見た扉とはまた少し違った形の、銀色のパネルがついた扉の前だ。通路の左右に鋭く視線を走らせた後、彼は音も無く扉を開け、私を中に引きづり込んだ。
 薄暗い通路だった。ところどころに、小さな出っ張りやパイプが走っているのが見て取れた。あまり一般的には使われていない通路なのだろうか? 人の姿がまるで見えない。それだけ見て取った時、背後で扉が閉まった。一瞬、視界が真っ暗になる。
 少しして、目が慣れた。よく見ると、足元に非常灯がある。思いのほか明るい。そのほのかな明かりの中で、ようやく少年が振り返った。相手の表情を見て顔が引きつった。……やばい。見なかったことにしよう。
 彼はたいそうご立腹の様子だった。

「何をしているんだ。艦内の者とはなるべく接触しない決まりだろう」

 言葉と共にじろり、と彼に睨まれた。その視線の厳しさにうっと言葉に詰まってしまう。――怒ってる。何だかよくわからんがものすごく怒ってる。
 ちょっと待って。さっきまでの愛想良さはどこに行ったんですかと問いただしたいくらいの豹変振りだ。語尾が敬語なのは完全に気迫負けした証拠である。美人が怒ると怖いんだよ!
 更に言うなら眉間にしわがよっていた。美人が台無し、何てことは無い。怒ってても美形は美形だ。
 話す口調もこちらに向ける視線も妙に鋭く冷たく、別にこちらが悪い訳でもないのに平謝りしたくなる。

 お怒りの割に話す声が小さいのはどうやら周りを気にしているからのようだった。時折扉の向こうを警戒するように見ている。

「は? 決まり?」

 何のことだ。
 さっぱり理解できない発言に、私は頭をひねった。

「疑われるような行動は極力慎むようにと隊長から指示があっただろう、何をしてるんだ、まったく」
「しじ?」
「ただの民間人相手ならともかく、よりにもよって士官相手に……。あの制服と階級章、見えなかったのか」

 とがめるようにじろっとにらまれた。

 仕官? 階級章?
 それって、何のことですか――?

 さっぱり分からず困惑する私に大きくため息を吐いて、彼はすたすた歩き始めた。
 とっさに後をついて歩くが、薄暗くて、足元がおぼつかない。しかも先の通りの早足でついて行くのがやっとだった。聞きたいことはたくさんあるのに、息は弾むし頭はぐるぐるするしでうまくしゃべれない。

「いや、あの、ですね」
「こちらの作業は終了した。後は起点がうまく作動するかどうかだが」
「いや、だからちょっと……」
「起点の爆発プログラムはそちらに任せたが……大丈夫なんだろうな? 想定通りの威力が無いと脱出の時が――」
「ちょっと、聞いてくださいってば!」

 いい加減、人の話を聞いてくれ。君も急いでるようだけれどこっちも相当困ってるんだから!
 食いつくように叫ぶと、彼は険しい顔をして振り向いた。声を殺して叱責しようとして、私の表情を見て眉をひそめた。私は相当ひどい顔をしていたらしい。
 彼の瞳にこちらを案じる雰囲気が混じる。

「どうしたんだ、。さっきからおかしいぞ」

 いや、確かに私の名前はだけどさ……。
 綺麗な顔をした彼は一瞬、心配そうな顔で私を見た。さっきから怒ってばかりだし人の話は聞かないから、典型的な『顔はいいが性格が悪い奴』なのか思っていたけれど、別にそうでもないようだ。むしろ、気遣うような表情は思っていたより彼を優しそうに見せる。

「何かあったのか?」

 チャンス到来。
 さあここが重要だぞ。今を逃したらしゃべるのは相当難しくなる。気合を入れて、私は説明を始めようとした。が――。

「……」
「………」
「…………」
「…………?」

 焦れたように、彼が私の名前を呼ぶ。なぜ私の名を知っているのだろう。そう疑問に思う余裕すらなく、私は必死で言葉を探していた。
 いやあのちょっと待ってください。何かって言われてもその――。

「……分からない」
「?」
「自分でも何があったのかさっぱりわからないんですけど」
「――――は?」

 ひどい激痛が顔に(鼻とは言わない、くやしいから)走ったと思ったら、見慣れない場所にいた。
 美人さんに拾われたと思ったら美少年に引き渡された。んで、状況を理解できないまま今にいたる。
 他人に説明するより先に私が説明して欲しい。

「えと、すみません。ここはどこでしょう?」
「…………は」

 ……沈黙が重い。
 この事態をまねいたのが自分だと分かっているから、さっき以上に重苦しい空気がびしばしと体に突き刺る。肩と言わず体全体に何かとてつもなく重たいものがのっかかっている。
 必死で耐えたが、その我慢にも限度があった。

「つ、ついでにあなたは誰で、私は何なのか教えてもらえると助かっちゃったりするんですが」

 重い空気に耐えかねて、私はえへっと茶化すように、ことさら明るく笑ってみた。一瞬、少年の動きが止まる。
 激しい警鐘が全身を駆け抜けた。固まった少年をつぶさに観察すると、握った両の手の拳が震えていた。やばい、もしかしてわたし地雷踏んだ――!?

「ふざけて――」

 ゴウン!!

 「るのか」と続くであろう怒声をかき消すように、突然それ以上の衝撃が響いた。全身をシェイクされるようなひどい揺れ。
 ほぼ同時に、ものすごい爆音。

「何!?」
「ぎゃあっ!!」

 あまりの衝撃に体勢が崩れた。乙女らしからぬ悲鳴を上げつつ、本日二度目の顔面ダイブだ。なんてこったいまた鼻が縮む!
 悲壮な運命を覚悟してぎゅっと目を瞑り痛みに備えたが、いつまでたっても地面とコンニチハはしなかった。
 何故?

「な、何が!?」
「あ……」

 なんてことは無い。予想不能のダイビングを彼が支えてくれたのだ。

「あ、ありが……」
「どういうことだ。予定より早い――」
「よ、予定?」
「話は後だ。急ぐぞ!」

 支えられた姿勢のまま、腕の力だけで立ち上がらされた。助けてもらったお礼を言う暇もない。強い力で腕をつかまれ、走らされる。
 走っている間も小さな揺れが断続的に響く。けたたましい警戒音や、切羽詰ったような艦内放送が流れる中、私は必死に言葉を紡いだ。

「どこに行くの!?」
「格納庫だ!」
「格納庫!?」

 だから、どこだよそこ!?

 言葉にならないこの呟きを、私はこれから何度も叫ぶことになる。

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