アスタリスク
-13-
「どうぞ、やるならご自由に。ようやく楽になれて嬉しいくらいですから」
そう言って、少年はうっすらと笑った。
その瞳は紫。
どこまでも深い、星灯りを映した湖面を思わせるようなアメジストの色だ。
――こんな色、はじめて見た。
思わず見入ってしまった。
整った顔立ちに感情無い笑顔。それはどこか人間離れした印象を見るものに与える。
何だか得体の知れないものに合った気がして、落ち着かない気持ちになった。うっかりポエム調の人物評価が飛び出す始末だ。妙にそわそわして、動揺もあらわに構えていた銃をぎゅっと握る。
そのひやりとした質感に、思わず、愕然とした。
「――わ、わ、うわわ!」
「……」
「ごめん、ついとっさに!……撃たないから!撃てないから!!」
振り捨てるように銃を降ろした少女に対して、少年は妙に静かだった。
銃を向けられて、普通、平静ではいられないだろうに……。取り乱す様子が一切無い。
底を感じさせない、どこか空虚な瞳で、静かにこちらを見ている。その有様に、むしろこちらのほうがビクビクしてしまった。
引くに引けず。
かと言って、人形のように佇(たたず)む彼に話しかけることもできなくて、右手にかかる鉄の塊の重さに戸惑う。
けれどそんなものを瞬時に忘れてしまうほど、信じられないものが目に飛び込んできた。
「……な、何。これ?」
少年の全身を、銀色に光るものが取り巻いてる。
真っ先に目が行ったのは腕だ。どう見たって手錠。しかもその手錠からはやたらと頑丈そうなワイヤーまで生えている。長さはほとんど無く、良くて1mといったところだ。こんなんじゃベットから立ち上がることすらできないだろう。
「どうして……」
よく見ると、手だけじゃない。
足も胴も、極め付けには首にさえ、枷をつけられていた。
特に足につけられたワイヤー。その先は、彼が座っているベットにつながれていた。手首につけられた物よりはやや長めではあるが、ベットに腰掛けるのがやっとという長さで。
「何をいまさら……。あなた達の常套手段じゃないですか。利用価値のあるコーディネーターが逃げたり暴れたりしないように」
「ちょ、ちょっと待って。……君は、なに? コーディネイターって……。何で地球軍の基地にコーディネイターがいるの?」
目を細めて薄く笑う彼に、慌てては問いただした。
聞くまでも無く、彼はコーディネイターだろう。その容姿以上に、彼の持つ独特の雰囲気が雄弁にその事実を語っている。そして、ここはナチュラルの……地球軍の基地だ。なぜ、そんな所に彼がいるのか――?
ミゲルやラスティ。おやっさん。基地の掃除のおじさん。日夜集めたニュース情報や、立ち聞きしたザフト兵の皆さんの話を総合するに、地球軍とザフト…ナチュラルとコーディネーターはすごい仲が悪いと言う話である。互いの姿を見るのも嫌で、住む場所を地球と宇宙に分けたほどだというから相当なものだ。その上、今まさに戦争の真っ最中。
軍の基地に、嫌ってる相手を入れるなんてありえるのか?
「今、戦争……してるんでしょう?」
戦争、と口にする時、妙に息が喉にひっかかった。
ひどく遠く……。どこか物語めいて遠くにあった現実が、彼と言う名の形を借りて、急速に目の前に迫ってきた気さえした。
「――何のつもりですか?」
射るような言葉が鋭く刺さる。
先ほどまでの、ただ冷めていた表情とは違う。人の一番冷たいところから湧き出るような、底知れない想いが籠った一言だった。
つい先ほどまでも好意的とは言えないありさまだったけど、これまでひどくは無かった。
思わずびくりと身がすくむ。
「とぼけているつもりですか? それで、本当に僕をだませるとでも?」
「何、のこと?知らないよ。違う」
否定して、大きく手を振る。
握っていた銃が大きく揺れて、まだ銃を手にしていたことに気づいた。しまったとは顔をしかめた。
向こうに敵意はものすごくあるようだが、ミワにはそれは無い。睨みつけられてはいるが、取りあえず危害を加える様子も無い。こちらも敵意がないことを示すため、ミワあわてて銃を床におろした。
何だが苦いものがこみ上げてくる。
「……君は、コーディネイターだよね?」
整った容姿。その上普通ではありえない、信じられないほど鮮やかな紫の瞳だ。間違いないと思うんだが。
「知っているでしょうに。何の冗談ですか?」
いや、知らないって初対面だし。新手のナンパか何かですかー?
いつもなら飛び出すそんな軽口も出せないくらい、少年の瞳は剣をはらんでいる。
少々現実逃避気味の切り替えしを思い浮かべつつ、はどうしたものかと思案した。
「この期に及んで、まだ小細工が必要ですか? もう十分すぎるほど協力したでしょう。人質まで取って……。――あれ以来、僕が大人しく従っているのはあなた達も分かってるはずだ」
「???」
この段に来て、はようやく違和感に気づいた。
深刻な様子で語る少年には悪いが、言っている意味がさっぱり分からないのだ。
――小細工? 人質? いったい何のことを言っているんだ?
「ごめん、分からない。何のこと?」
聞くと、さらに切りつけるようににらまれた。
こわっ!
超怖い。うっかり土下座したくなるくらいのご立腹具合である。
自分の言動はよっぽど彼の機嫌を損ねたらしい。殺されるんじゃないかってくらい。視線に力があるんだったら、それぐらいできそうな目だった。
さすがにびびって後ずさった、その時だ。
『D区画だ! すでに戦闘は始まっている、早く応援に行け!』
廊下の方から、複数の人間の怒鳴り声が聞こえてきた。
鋭い声。同時に、何人かが駆けていく足音。
『格納庫で爆発が起きた! ……くそっ、奴ら、どうやって入ってきたんだ』
『ありったけの人員を投入しろ。武器もだ!』
『ここの秘密を外に漏らす訳にはいかない。何としても逃がすな!』
その内容を聞いて、今がどういう状況か思い出した。
「――やばい」
「……?」
「悪いごめんかくまって!」
言うと、自分でも信じられないくらいのすばやさでベットの影にうずくまった。
この部屋で隠れられそうな場所なんてほとんど無かったのだ。だからとっさに、彼のいるベットの方に走る。
ついでに置かれていた掛け布を取ってベットの隅にまるまった。正直パニックで自分が何をしているのか分かっていなかったりする。
「……………………何、してるんですか」
目の前の少女の行動がよっぽど理解できなかったらしい。
恐ろしく間が空いた後……。奇妙なものでも見るように、少年はためらいがちに口を開いた。
「見れば分かるでしょう。隠れてます」
「何で隠れるんですか」
「見つかったら困るから」
「……困るんですか?」
「めちゃくちゃ」
びしっと言うと、戸惑うような瞳と合った。
さっきまでの冷たいだけの紫とは違って、不安定に揺れている。信じられない、と言うよりは困っているような……。何だか複雑な心境を隠し切れず、駄々漏れしたような風情である。
なんだろう、最近、こんな目で見られたばっかりのような……。
覚えのある感覚に、妙な既知感(デジャ・ビュ)を感じた。
「ごめん」
「……何で、謝るんです」
「いや、困らせてるみたいだから」
「…………」
「えっと、」
とりあえず謝ってみたが、逆効果だったようだ。ただでさえ穏やかとは言えなかった彼の体が、緊張にこわばった。
何だか余計なことをした気がして、も黙ってしまう。微妙な雰囲気が室内を覆った。