アスタリスク

モドル | ススム | モクジ

  24  


 こそこそと移動する二人を見送り、彼はさて、と思考を巡らせる。
 見慣れた少女の見慣れぬ言動。こわばった表情をした少年。その少年を、体全体で庇っていた少女の表情――。それの意味する所は……。

「……ふむ……」

 数秒後、男は思いついたように手に持った通信機を起動させた。先ほどの陽気な様子が嘘だったかのような、理知的な光が瞳に宿る。
 それは今までが見た事の無いような表情で――。

「ダコスタ君、私だ。……あぁ、分かった分かった。そんなことよりも今ミゲル達の手は空いているか? 少し頼まれて欲しいのだが――」





 そそくさと移動をする二人の沈黙を破ったのは、意外にもキラのこんな問い掛けからであった。

「なんで」
「ん?」

 まさかキラから話しかけられるとは思わなかったから、は驚いてその歩みを止めた。
 つかんだ腕はとっくに放してある。実は先ほど手を握った瞬間、キラが総毛だったのに気づいてしまったからだ。やはり彼は他人に触られるのが嫌らしい。
 最近結構仲良くやってきたつもりだったから――さすがに全身チキン肌になられるとは思ってなかったから――そんなに嫌だったかと、改めてショックを受けたりもしたんだけれど。

「なんで……かばったんですか? あそこで助けを求めたら、あなたは逃げられた。僕の武器はこのナイフだけです。大の男と取っ組み合いになれば、僕に勝ち目は無かった。それなのに――」
「んー」

 至極もっともなキラの意見にはぽりぽりと頭をかいた。
 確かに、あそこでおやっさんに助けを求めたら自分は解放されていただろう。そもそも、飛び出していこうとするキラを止めなければ良かったのだ。ああ見えておやっさんがかなり鍛えているのは知っているし、全身のあちこちに、こっそり銃やら何やらをを忍ばせているのも知っている。
 キラみたいにひょろっこい男の子に負ける事は無いとは分かっていたのだが……。

「あのさ、最初にも言ったけどね」
「はい……」

 しおらしいキラに、何だか調子が狂うなーと思いながら、は食堂で聞きかじった話を思い出す。
 負傷したラスティの容態を教えてくれるついでに、ミゲルは確かにこう言っていたはずだ。

「ザフトは、君みたいな保護した人達を拘束する気は無いらしいんだ。ただちょっと話を聞かせてもらって――まあこれも君達にしたら『嫌な事を思い出せ』って言われてるようなものだからしんどいと思うけど――ちょっと我慢して教えてくれたら、君達を親御さんの所に帰す用意もある。手続きやらなんやらで、少しは時間は食うだろうけど」

 噛み砕いて説明しようとするをキラはじっと見つめている。
 ――どうやら聞きたかったのはこういう話では無いらしい。分かっていたけれどさー。

「あのね、せっかく帰れるチャンスなのに……あんなところ見られたら、それこそ帰してもらえなくなるよ? 下手したら……スパイ容疑だとか何とかややこしい事態になって、今度こそ本当に監禁されちゃう」
「それこそ、あなたには関係の無いことでしょう」
「まあ……そりゃそうだけどさ」

 信じられない、と断じて来る瞳に、は『オージーザス!』と天を仰ぎたくなった。と言うか実際仰いだ。
 救いを求めて見上げた先は、相変わらずの灰色の天井だった。冷たいコンクリの壁は何も答えてくれない。
 神様なんていやしねー。こりゃ自分ががんばるしかねーな、と一人脳内完結して、

「君は、ここが信用できない? 軍事施設だから? そりゃ確かに怪しいし物騒だけど、一応指揮系統はしっかりしているから民間人に危害は加えないようになってるよ。実際わたしもそういう扱いだし」

 厳密には民間人では無いらしいのだが、の意識的にそういう感じだからこんな説明しか出来ない。
 たまに作戦中だとかでピリピリするが、それ以外の時なら物資もそろっているし三食昼寝付きだし。
 結構快適な生活だと思うのだが……。

「もしかして、捕まっていた時の事を話すのがそんなに嫌? 君は見つけたときの状況が状況だから、心理的負担を前面に押し出せば先に家に帰してもらえるかも知れないよ。……PTSD、とか言ったかな? 私も第一発見者としてその辺ちゃんと説明するから」

 これもミゲルが言っていた。彼は見つけられたときの状況。および保護した後の反応が、他の保護したコーディネイター達と明らかに違うらしい。『食事も受け付けないほど精神的に衰弱しているから様子を見て来て欲しい』そう頼まれたのが事の発端だったし――。
 まぁ、その結果、背中に凶器を突きつけられて基地内を歩き回る羽目になったのだが。

「前後が逆になるけど、おうちに帰ってから気が向いたら話に来てくれたらいいしと思うし……。後の事は、こっちでうまいことやっとくから」

 主にミゲルがな! と無責任なことを内心つぶやく。
 こうなった原因はミゲルだ。これぐらいの事はやってもらおう。二つ名持ちのエースなんだし〜、と真剣な表情の下で黒い考えをもくろんだ。

 そんなの心の内を見透かしたわけではないだろうが、キラの瞳が鋭く向けられた。突き刺さる視線の意味するところは――信じられない。なぜ?、だ。
 それはそうだろう。おそらく彼の聞きたい事は、こんな表層的なことじゃない。分かってる。

「……」
「…………」
「……」
「…………えーと……」

 にらみ合うこと数秒。その間に、はキラに気付かれないよう心の準備をした。
 ゆっくり息を吸って、吐いて。ちょっと急いで。でも、確実に。

 彼が求めるその言葉は、の心を大きく抉(えぐ)る。
 それでもここでは逃げられないから。――逃げたら、だめだから。
 逃げようとする気持ちを叱咤し、がんじがらめにしてバリケードで固める。

 ――よし、覚悟は決めた。

「帰る場所があるなら……」

 しぼるように言葉を口にする。……つらい。でも、逃げるわけにはいかない。

 彼の求めるもの。それはきっと、本心からの言葉だから――。

「帰ればいいと、思ったんだよ」

 そう、帰ればいいと思ったんだ。せっかく帰る手立てがあるのだから。
 あんな衝動的な行動で、そのチャンスを無くしてしまうのはもったいない。だからかばったし、隠した。
 そうまでして帰りたい場所があるのなら。『帰れる』場所が、あるのなら……。

「帰ればいい」

(私は、もう、無理かも知れないから)

 その言葉を胸で形にした途端、ぐらりと心が揺れた。

 馬鹿馬鹿わたし! こんな所で折れてどうする!!
 せっかく今までがんばってきたんだから! あともうちょっとぐらい踏みとどまってみせろ!!

 なけなしの根性を引きずり出して、もう一度。
 大きく、深呼吸をした。

 くるりと後ろを振り向くと、突きつけられたナイフが驚いたようにぱっと離れる。
 やっぱりな、と思った。うすうす気付いていた。保護したとは言っても身元の知れない相手に、武器になりそうなものを軍人さんが渡すはずが無い。

 突然動いたを傷つけないようにと引っ込められたナイフは、食事用の歯を潰された簡易ナイフだった。――『あの日』のナイフだろうか? ……わからない。でも、震えた手で握るキラのあんな手つきでは、突き刺すどころか薄い指の皮ぐらいしか切れないだろう。
 ほんのちょっと肌に触れただけの、そんな小さな刃物ですらおっかなびっくり扱うようでは――。

 初めて包丁を持った幼子のように、ぎこちない手つきでナイフを扱う少年の姿にほんの少しだけ心が和んで。

「――、帰りなよ」

 強がりで、笑った。

モドル | ススム | モクジ