ソラ駆ける虹

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  -10-  

 地核の淵に落ちていく中、ああ僕は死んでいくのだなと酸素の少なくなった脳は冷めた思考を巡らせる。

 瘴気に満ちた泥の中は深く沈むほど様相を変え、落ちれば落ちるほど不思議な虹彩(こうさい)を放ち始めた。
 きらきらと光る水晶の中に、誰かの、どこかの姿が映し出される。
 それを視界の端に捕らえ、その『誰か』が『何者か』を理解した時、シンクはその皮肉な映像に苦く笑った。

 慈悲のつもりか、惑わせる気なのか――。

 どちらにしろ、音素になって消えていく自分には関係の無いことだ。
 浮かんでは泡のように消える水晶の中、その人をぼんやりと見つめ、そしてさえぎるように、シンクは静かに瞳を閉じた。

 いまさら、もう、おそい。

 際限なく落ちていく深淵の中、誰かの歌声が聞こえた気がした。












 外郭大地が次々に崩落している。
 それを止めるため。……いや、厳密に言うと安全に降下させるために親善大使一行が影で色々動いていた。

 さまざまな紆余曲折があったらしいが、それもひと段落付き、この間ユリアシティでキムラスカ、マルクトの両国の間に平和条約が締結された。
 ほどなく、外郭大地を魔界に降ろす作業が開始される。

 世界は急激に変化している。
 ほんの少し前ならば、考えもつかないほどに。

 けれど、私の時間は止まったままだ。
 導師イオンからシンクの最後を聞いた、あの日から――。




「浮かない顔だな、
「ピオニー陛下」

 思わぬところで思わぬ人物と会った。
 噴水広場の向こうから手を振りながら近づいてくるのはこの国の皇帝、ピオニー陛下だ。皇帝とは思えぬほどの軽装である。

「あいつら、アブソーブゲートに向けて出発したらしい。あさってには決着がつくはずだ」
「そう、ですか……」
「気の無い返事だな」
「すみません」

 軽く頭を下げると、気にするなと肩を叩かれた。
 気さくな王様だ。導師が連れてきたとは言え、素性も知れない相手に本当に良くしてくれている。

 ありがとうございます、とは心からの感謝の気持ちで礼をした。




 そうして皇帝陛下はいつものごとく、噴水の淵に座るの隣に腰をかけた。
 何を話すことも無く、ぼんやりと、二人ただ静かに空を見上げる。

 彼は預言によって選ばれた皇帝だという話だった。
 そしてそれがゆえに、幼少の頃、暗殺から逃れるために遠く北の地に幽閉同然で閉じ込められていたと。

 おかしな話だ、と思った。
 一国の行く末が、ただ一行の預言(スコア)によって決められてしまう。
 それに連なる人々の人生すら、その旋律によって、いとも簡単に定められてしまう。そんなことが本当にあるのか、と半信半疑で最初はいたものだった。
 預言の無い世界で生まれ育ったにとって、これほど不条理で、理解しがたい未来の決められ方なんて無い。
 けれど、それがまかり通る世界だったのだ。この、オールドランドと呼ばれる惑星は。
 そして人々はそれに逆らう様子をこれっぽっちも見せやしない。むしろ、嬉々としてその預言を遵守しようとする。

 のほほんと流れる雲を目で追う皇帝を隣に、思う。
 彼は思ったことは無いのだろうか。なぜ預言なんてものに自分の未来を決められなければならないのか、と。

 ふいに、炎に揺れる緑の瞳がの脳裏をよぎった。

 なんで、あんたが――!
 身を切るような叫びが耳を突く。

 『……それがユリアの答えか』

 吐息のようにこぼれ落ちが言葉が聞こえた気がした。
 それを問いかけるより先に、腕がきつく締め上げられる。
 その気迫に飲まれて、何も言えなかった。できなかった自分を、どこか遠くから見下ろしている自分の姿が見えた気がして。

 ――違う。彼とは、違う。

 自分の後悔と、人のことを混同してはいけない。
 鈍い吐き気と共に、暗い淵に落ちそうになる思考を、は頭を振るうことで引き上げた。






 親善大使一行に付いて行った導師のことも心配だった。
 元いたイオンとの違いを不審に思いながらとは言え、半年近く文通した仲なのだ。
 友達、と言ってもいい相手なのだと思う。……向こうがそう呼ぶことを許してくれるのならば。

「導師イオンも一緒だそうだ。お前にもよろしく、だとさ」
「はい」

 顔を合わせてからも、導師はとても良くしてくれた。
 自分の方がへばっていると言うのに、旅の途中も、何かにつけて声をかけてくれて。

 連れて行くのも危険だから、とマルクトに預けられてからも、折を見て必ず伝言を残してくれる。
 『お元気ですか?』『あざはもう治りましたか?』『何か困っていることはないですか?』等々。

 本当に良くしてくれるのだ。導師も、皇帝も、マルクトの人たちも。
 それなのに。それなのに、私は――。



 さやさやと流れる噴水に向かって、は手を伸ばした。
 白いしぶきが粒になって、あざの浮かぶ腕に降り注ぐ。形の無い水滴をつかむように、手をぎゅっと握り締めた。


 君の苦しそうな瞳が忘れられないんだ――シンク。


 開いた手のひらの中には、何一つ残ってはいなかった。


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