ソラ駆ける虹

モドル | ススム | モクジ

  12  

 火山のふもとで手を合わせる。
 来る途中に摘んだ名も無い花が、風を受けて静かに揺れる。
 それを目に収めて、はゆっくり立ち上がった。

「もうよろしいのですか?」
「はい。ありがとうございます」

 護衛にと付いてきてくれた導師守護役(フォンマスターガーディアン)の青年に頭を下げると、とんでもない! と上ずった声が返ってきて、その慌てぶりに少し笑った。少しして、ゆっくりと後ろを振り向く。
 視線の先には、今なお黒煙を噴出す火山があった。ダアト東部にそびえ立つザレッホ火山だ。

 もう大丈夫だと思っていたのだけれど――。

 思い出したかのようにこみ上げた痛みが、にぶく胸を突く。
 導師に話を聞いてから、いつか来たいと思っていた場所だった。来なければいけない場所だった。
 けれど、なかなか向き合う勇気が出来なくて、つい延ばし延ばしにして今日まで来てしまった。

 薄情だね、と呆れられただろうか?
 臆病者と嫌悪されたかもしれない。

 けれど来てみれば見渡す限りの緑の草原に、色とりどりの野花が咲く美しい場所だった。そのことに少し驚き、もっと奥に、火口までと歩を進めるを止めたのは護衛役の青年だ。
 危険だから、と譲らない彼は、あまり無理を言うと導師に報告に行きそうだったのだ。導師に出られたら、はどうにも無茶を言えなくなる。
 しぶしぶ承諾して、今いるこの場所から火山を見上げる形に落ち着いたのだ。


 あの中に消えた命の行く先はどこにあるのだろうか?
 ふいにそんな疑問が頭を過ぎった。
 懐かしい彼。名前も与えられなかった兄弟達。

 そして地核に消えた、彼の魂が流れ着く先は――。


 せめて、穏やかな場所であって欲しい。
 祈るように閉じたまぶたに、雲間から差し込んだ陽光が刺さる。

 ふと、光の中に声が聞こえた。

(――――、……?)

 振り返っても、誰もいない。
 当然だ。見渡す限り、この草原には自分と、導師が付けてくれた護衛役の彼しかいないのだ。それ以外の声など聞こえるはずがないのだが。

 ――何だか、ひどく切実な声だった気がするけど……。

 考えても仕方がない。
 ゆるく頭を振って視線を戻す。
 墓碑すら許されなかった、彼らの葬られた火山に向かって、は微笑んだ。

(またね。イオン)

 誰に知られること無く命を散らした友人に再会の約束をして。
 ゆるやかに風吹く緑の草原を、はゆっくりと歩き出した。




 ダアトに戻ったは同行者と別れ、導師の部屋に向かった。
 帰還のあいさつと、護衛をつけてくれたことに対する礼を言うためだ。

「――ありがとう。ご苦労様です」

 導師の部屋の中から、よそ行きの風情を帯びた少年の声が聞こえた。
 イオンだ。
 その口調から、執務中であることが分かった。会話の内容からすると、来客中でもあるようだ。
 ――後にした方がいいだろうか?
 戸惑い、立ち止まると、ちょうど部屋から出てくる少女と目が合った。

「失礼します!」
「あ、はい……」

 笑顔で会釈する少女に軽く頭を下げて答える。
 妙に上機嫌で立ち去る彼女をしばし見送り、部屋に目を戻すと、笑顔の導師が待っていた。

「お帰りなさい。。旅のほうはどうでしたか?」
「旅って程すごいものじゃないよ。せいぜいピクニックってところで……これ、お土産」

 帰る途中で摘んできた花を渡すと、導師はそれは嬉しそうに微笑んだ。
 薄い黄色の花弁が幾重にも重なった花束に目を細める導師の手には、一通の手紙が握られている。一瞬目をかすめた差出人の名前に、は見覚えがあった。

「アニスちゃん?」
「はい。今はグランコクマにいるみたいです」

 花瓶を探し始める導師を手で制して、は花を取り上げて適当な瓶に生けた。
 その間にザレッホ火山への道行きを聞いてくる導師に、護衛をつけてくれたことの礼を言ったり、町の様子を話したりする。


 全て終えて執務室に戻ると、導師がお茶の準備をして待っていた。

「手間とらせた?」
「僕も喉が渇いていたので」

 ついでです、と茶目っ気たっぷりに笑う導師は、旅をしていたころに比べて格段に元気そうだ。
 いくら平気そうに振舞っていても、体の弱いイオンにとって、ろくな休憩も取れない長旅は毒だったのだろう。自然が多く気候も穏やかなダアトでゆっくり過ごすことで、彼は本来の姿を取り戻しているみたいだった。


 他愛も無い話をしながら、まどろみのように穏やかな時間が流れる。
 どこかの新入り譜術士が練習でもしているのだろうか? 開け放たれた窓から、たどたどしい譜歌の旋律が響いてくる。
 時折部屋を訪ねてくる教団兵に、導師はに小さく謝罪の言葉を口にして席を立った。そのほとんどが短い時間で帰ってきたものだったが――――誰かが気を利かせてくれたのだろう。そのうち執務室を訪れる足も無くなって。


 そうこうしている内に日は傾き、部屋に長い影を作っていた。
 窓から入り込む風が冷たさを増す。
 小さく身震いをした時、導師が席を立った。パタンと窓を閉め、振り返る。



 そして、その時は来た。

「見つけました」

 静かに響いた言葉に、息を呑んで顔を上げる。
 深い――まるで燃える様なオレンジの炎を背にした導師がそこにいる。
 強い光が作る濃い影に、導師の顔は見えなかった。ただ淡々と、表情を消した声だけが、夜を予感させる冷えた部屋にぽとりと落ちる。

「おそらく、間違いないでしょう」

 金縛りにあったように動かない体は、まるで息をすることすら忘れたかのように止まったままだ。
 そうすることで、時間が止まればいいのにと思ったのかもしれない。
 けれどそんなことが出来るわけも無く、決定的なその言葉は、するりと導師の口からこぼれた。

「あなたを還す方法が見つかりました」

 待ち望んでいたはずの言葉に、何故か抗うように手のひらが震えた。


モドル | ススム | モクジ