ソラ駆ける虹

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  14  

 悩むには、時が経ち過ぎてしまった。
 帰りたいのか、そうじゃないのか。その境目すらあいまいになって来ている。

 ――帰りたい。その気持ちは変わらず胸の奥にある。けれど。

 これで約束を果たせます。そう言って、どこか悲しげに微笑む導師の顔が忘れられない。
 忙しい中、骨を折ってくれた。導師も生まれたばかりで、慣れない環境の中、勤めを果たさないといけない状況だったのだ。その苦労は察して余りある。
 せめて礼だけでも言わないと。そう思っていたのに。

 なぜか体が動かなかった。




「……ぁ」

 ぽつりと鼻先に落ちた雫の冷たさに、思わず声がこぼれる。
 朝から降り始めた雨は、日が傾き出した今になっても降り止む様子を見せない。
 勢いはそれほどでもなかったが、防水加工を施した外套を伝う雨粒は、絶える気配を全く無かった。
 この様子では、明日の出発は無理かもしれない。嬉しいような、そう考える事は何かに対する裏切りのような、そんな複雑な気持ちで、は青ざめた唇をぎゅっと引き結んだ。

(隊長に相談しないと……)

 商隊の責任者の赤ら顔を思い出す。
 買出しは一通り終えた。出発の準備は整ったわけだが、ここで無理をして危険を冒す必要は無い。日程には充分余裕を持たせてあったし、同乗させてもらっている商隊の方も、特に急ぐ品物を運んでいるわけでもない。
 天気さえ回復すれば、数日の後には、また旅の空の下だ。道行も順調。日一日と、目的地は近づいて来ている。
 ――迷ってはいけない。

 捜し続けてくれたイオンと導師のためにも。
 良かったね、と送り出してくれた店長や、町の人々のためにも、いまさら引き返せない。

 おそらく、帰るのだろう。…………いや。帰るのだ、私は。

 言い聞かせる言葉とはうらはらに、空は悲しげに泣き続けている。





「旅の預言師(スコアラー)様?」

 翌朝、変わらず振り続ける雨を横目に、複雑な気分で食事をしている時だった。飛び込んできた驚きの声に、はぴくりと耳を動かした。
 どうやら声の主は、この宿屋のおかみさんのようだった。入り口の方で、誰かとしゃべっている。

「見違いなんてことないだろうね?」
「そんなに耄碌(もうろく)した覚えは無いね。今朝町外れに到着されて、さっそく預言(スコア)を詠んで下さったよ。『この雨は十日ほど続くから遠出は避けるように』とのお言葉さ。個人の預言は、準備ができてから行うとのお話だよ」

 興奮冷めやらぬ様子で言い募ったのは出入りの食材屋の奥さんだった。納品の途中にその光景を目撃したらしい。すでにあちこちで吹聴して回っただろうに、その勢いは全く衰えを見せていない。

「――預言をして下さるのかい!?」
「順番に、とのことだけどね。用意が出来たら連絡するから、大人しく待っていろとのお達しだよ!」

 話すほうも、聞く方も、並々ならぬ喜び具合であった。無理も無い。この町は預言を――特に天気に関する預言を熱望していた。

 大陸降下からこちら、世界はたびたび起こる異常気象に悩まされていた。大陸変動の影響で地形が変わり、その急激な変化の反動が、気象に現れてしまったのだ。
 以前は豊富な水源を持っていたこの町も、地盤の緩みが原因なのか、今では泥沼が点在する湿地帯になっている。雨が続く日は、ろくに街の外には出られない状態なのだ。

「ああ、本当に助かるね。お役人様も色々と良くしてくれているけれど、どうにも対応が遅くてねぇ」

 むろん、国も手をこまねいていたわけではない。預言に変わるものを、と気象に詳しい学者を招き、特に天候に関する情報を必要としている場所には優先的に情報を知らせていた。けれど、王都から距離がある場所では、どうしても対応が遅れる。
 この町には、少なくない数の商隊も行き来する。情報の速さは誇張ではなく、命の重さを左右した。下手をすれば死人が出る。

「旅の預言者……」

 預言が必要なのは分かっていた。この町におけるその重要度は非常に高いという事も。それでも、「預言は詠まない」と決めた導師達と、そうなるまでの過程を知っていたから。
 このままではいけない。止めなくては。そう思った。……でも、どうやって?
 実力行使に出られるような力は、自分には無い。権威も無い。
 教団本部(ダアト)に報告して対応してもらうのが一番良い方法だろう。本来、教団に属するものは、本部からの指示には逆らえないはずなのだから。

(ひとまず、情報を集めよう)

 食事も途中で、同行者に軽く合図して、は足早に宿を出た。
 旅の預言者達がいるのは町外れらしい。あちらこちらで飛び交う噂話を拾い、だいたいの位置をつかんだ。
 人払いでも行われたのだろうか? しぶしぶと各々の家に帰る町の人達とすれ違う。
 今行っても会えないよ、そう教えてくれた男の言葉にそつ無く返し、白い天幕が張られたその場所に向かう。そして――。



 そこに、彼はいた。


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