ソラ駆ける虹

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  22  

 手が透(す)けて見える。
 夢かと思ったけれど、どうやら現実らしい。確かめるように延ばした左手は、悲しいことに、右手と同じようにうっすらと透けて見えた。左右同時進行のようだ。この分では、両の足先も怪しいだろう。

「――っ、く。……は、」

 吐息と共に、暴れ出しそうになる感情を吐き出した。何度か深呼吸をして、理性を取り戻す。大丈夫。まだ、大丈夫。
 合わせた手のひらを祈るように組んだ。感触は、ある。だから大丈夫。

 カタリ。

 物音に気づいて顔を向けると、天幕の入り口にシンクが立っていた。この前と反対の状況だ。天幕の中で倒れていたシンクを見つけた時の事を思い出した。
 ――たった数日前のことなのに、ひどく昔の事のように感じる。

 入り口で立ち止まったシンクはmそれ以上中に入って来ようとはしなかった。それで良かった。この透けた体を見られたら、何か言われたら、平静を保っていられる自信は無かった。

「――、二日」
「?」
「二日、眠っていた。……調子は?」

 驚いた。そんなに眠っていたのか。時間感覚が全くつかめない。

 大丈夫と答えると、そう、と気の無い返事が返ってきた。そして……沈黙。
 お互いが何を話していいのか分からない。――いや、本当は分かっているのだ。けれどそれを切り出す糸口が見出せずにいた。気まずい時間が流れる。
 けれどいつまでもこうしていられないと思ったのだろうか。一つ、大きな息を吐いて、つとめてさりげなくシンクはその言葉を口にした。

「アンタも、レプリカ?」

 言われた言葉にしばし絶句する。そんな言葉が来るとは思ってもいなかったからだ。少し考えて、ああ、と思い至る。
 そう考える方が、むしろ正常なのだろう。

「違う」

 一瞬、そうだと言おうかと思った。そう言った方が、まだ、理解してもらえるだろう。
 けれど嘘はつけない。よりにもよって彼にそれを言うのは、許されることではないと感じた。

「違うよ。私は、レプリカじゃない」

 長い、長い話をした。少なくとも私にはそう感じた。
 真実を明かした人の数はそう多くは無かったけれど、その少ない経験を持ってしても、この瞬間に慣れることはできなかった。

 信じてもらえるだろうか。
 笑い飛ばされるのか?
 ふざけるな、と怒鳴り飛ばされるかも知れない。
 頭がおかしいと、忌避されるかも。

 そんな不安と戦いながら、一言一言、言葉をつむぐ。

 言葉にすれば一瞬だ。前後の説明はあっても、本質はただひとつ。そして話は締めくくられる。こうなった原因は、おそらく――私が、異世界の人間だからだろう、と。


 シンクの反応は、無言だった。動悸で震える手を毛布の中に隠して、断罪の時を待つ。
 けれど寄せられた言葉は、予想を遙かに超えていた。あまりの意外さに、一瞬反応が遅れたほどだ。

「――アイツは、」
「え?」
「アイツは……七番目のイオンは、知っているの?」
「……? 知ってる」

 他には、と問われて、不思議に思いながらも幾人かの名前を告げた。数はそう多くない。言ったところで信じてもらえないだろうと思ったのが理由だが――ただ単純に、私は怖かったのだ。この預言が絶対とされる世界で『預言を詠めない人間』が、どういう存在となるのか、想像することすら恐ろしかったから。

「あとは……イオン。話したのは、イオンが最初だった」
「――っ、オリジナル……!」

 うめくような呟きが聞こえた。そして、無言。あまりの沈黙の長さに、不安が募る。

「……シンク?」

 苦痛を堪えて身を起こす。
 体が裏返るかのような激痛に、一瞬呼吸を忘れた。額にどっと脂汗が浮く。
 崩れ落ちそうになる体を片腕で支えると、ふいに、哄笑が響いた。

「は、ははは!」
「シンク?」

 ぴたりと。
 笑いが止まった。目の前には真顔の彼がいる。その瞳は、前髪に隠れて見えない。

「イオンは死んだ」
「……?」

 なにを――。

「あんたのイオンは死んだよ。最後の譜石――第七譜石を詠んで、力尽きて消えたそうだ。……まったく。無駄死にだね、あの甘ちゃんはさ」

 そしてシンクは語った。星の預言に詠まれていたという導師イオンの死を。その預言を受けて、彼らレプリカが作られたと言う事も。
 不用品とされた彼らは『廃棄処分』された。生きたまま、ザレッホ火山の火口に投げ込まれたと言う。そんな中で、導師イオンの身代わりとして生きながらえた<七番目のイオン>(導師)も、結局は星の記憶に逆らえず、死んでしまったのだと。

「……ぁ、」

 あまりの事に、本当に呼吸が止まった。
 信じない。
 信じられない。
 ぐるぐると世界が回る。気がついたら、寝台から落ちていた。冷たい地面の感触が、直接肌に触れる。
 いつの間にか、シンクに支えられていた。そんなことに気づかないほど、私は動転していた。どうして。どうして。どうして……!

「私は、また、――無くしてしまったの?」

 ぽとりと、涙がこぼれた。……大事な人。守りたかった人。そういうものに限って、この手の指から、するするとすり抜けてゆく。滑稽な話だ。握る手、指すら、最初から無かったのかもしれないのに。
 溶けて消えていく体が最初からこの世界に無かったのと、同じように。



「ぁ、あ。ぁぁあぁあぁぁっ!」

 激情が、体を壊していくようだった。がたがたと体の震えが止まらない。急速に引いていく血の気に、シンクの方が目を見張った。抱きとめたの存在感が、急激に薄れていくようだった。その想像が間違いでも無いように、彼女の腕が、髪が、細るように透けていく。このままでは――。

 迷ったのは一瞬だった。苦い気持ちを押し殺して、柔らかな微笑を浮かべる。興奮する彼女を刺激しないように、ひどく、優しく。その声を作った。

「大丈夫。僕は、ここにいますよ」

 ちょっとした嘘だったんです、と。
 シンクは優しく囁いた。イオン、そのままの声と、姿で。

 ひどくみじめな気持ちだった。けれどあのままでは、彼女はきっと壊れていた。だから気がついたら、とっさにそうしてしまっていた。



 微笑むシンク。そんな彼を見上げ、は動きを止めた。
 その反応にシンクは少しだけほっと息を吐いた。けれどそんな彼の努力を台無しにするかのように、涙で腫れた目を見開いては呆然とつぶやいた。
 違う、と。

「――ちがう。君は……イオンじゃない。きみは」



 意識が深く沈んでいく。その向こう。かすんで行く視界の中で。

 見えた彼の表情に、の胸がじくりと痛んだ。――どうして、そんな表情を?
 問いかけたくても、手を伸ばしたくても、意識が途切れる。壊れた機械のように、体に思うように力が入らない。背を支えるほのかな熱だけが、彼の存在を伝えている。その感覚を手放す、一瞬、前に。

「…………どうして」

 声は、今にも泣きそうに聞こえた。


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