ソラ駆ける虹

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 無風の空を、鳥の足に乗っては飛ぶ。
 空、と言うのは語弊があるかもしれない。ここには、上も下も無い。白く間延びしていく世界はきらきらと光の粒を撒き散らしながら、ただ、そこにあるだけだ。

『あまり体を乗り出さないほうがいい』
「どうして?」
『ここは高密度の霊子結晶が集う場所だ。只人(ただびと)が落ちれば、自我を保てなくなる』
「死ぬってこと?」
『厳密には違うが、そう考えても間違いではない』
「そう」

 返事をしながらも、はその言葉をどこか遠いもののように感じていた。
 あの後、謝罪を続けるアスカには問いかけた。聞きたい事はただひとつ。自分は元の世界に帰れるのか、それだけだった。
 応えは「是」だった。光の鳥に促されるままその体に身を寄せると、ほどなくして、音も無く景色が流れた。――飛んでいるのだ。それに気づいたのは、少し経ってからのことだった。どのくらいの時間飛んでいたのかはわからない。この世界は、時間も空間も、ひどくあいまいだったから。

 帰れる、と聞いた時、不思議なほど喜びは無かった。むしろ、ひどい虚脱感に襲われた。ああ、これでもう、帰るしかなくなった。生き残る道を目の前にして全てを投げ打てるような覚悟は、自分には無い。

 涙が頬をつたう。……馬鹿だ。泣く資格なんて、私には無いのに。

 自分で切り捨ててきたのだ。彼の言葉なんて関係ない。結局、選んでここにたどり着いたのは自分の意思だ。私は、死にたくなかった。

 涙と一緒に、全てが、この体から溶けて流れればいい。
 記憶も、思いも。
 そうしたら、少しは楽になれるだろうか?

 そんな馬鹿なことを考えて。
 けれど、やっぱり嫌だと思いなおす。馬鹿なのも自分だ。苦しいばかりのこの想いも、全部自分のものだ。せめて記憶の中の彼ぐらいは、持って行きたい。欠片となって零れ落ちる涙を、どうにか引き戻せないかと行方を探す。
 その流れ着く先を見て、は震えた。どうして、と吐息が漏れた。

 ――彼だ。シンクが、そこにいる。



 彼女だ。どうして、ここにいる――?

 来るのは二度目になる音素の墓場――シンクはここをそう呼んでいた――で、遙か頭上を飛翔する彼女の姿を見つけたとき、シンクはこれは夢だと思った。
 最後に見る夢が彼女だなんて、思っていたより自分は未練たらしい生き物だったらしい。
 自重しながらも、シンクはせっかくだと開き直った。これで見納めになる。そう考えると、最後に見るのが彼女の泣き顔と言うのは、どうにも残念な話だった。さんざん彼女に辛く当たったくせに、益体(やくたい)も無くシンクは自分の夢にけちをつけた。

 どうせ夢なら、笑えばいいのに。

 いつも直視できなかった彼女の笑顔を思い浮かべてみる。こんなことなら、もっとしっかり見ておけばよかった。そんな後悔がふと押し寄せる。

 黄金の鳥に乗る彼女は、ますます表情をゆがめ、真っ赤に目を泣き腫らしていた。そう言えば、泣くのも、あまり見たことが無かった。ただ一度、雨の降る地で「消えたくない」と肩を震わせる彼女の背中を見た時だけだ。
 涙を流す彼女を見たのは、それが初めてだったかもしれない。

 困ったように笑う姿や、悲しげに目を伏せる様子しか思い出せない。そう思うと、なんだがひどく損をした気分になった。

 笑えばいいのに――。

 どうせなら、もっと、笑った顔が見たかった。彼女が浮かべるソレを、シンクは疎ましく思いながらも嫌いではなかった。例えそれがイオンに向けられたものだとしても、目が追うのは止められない。苛々しながらも、どうしても目を離すことができなかった。その時を思い出して。
 シンクはなんだか憮然とした気持ちになった。思い出すのは、イオンの隣に寄り添う彼女の姿だ。幸せそうに微笑む、二人がいた。

 ……どうして夢の中ですら、こんなにいらいらしないといけない。

 むっとして、シンクは唇を引き結んだ。
 見上げた先に空が見えた。鳥はそこを目指しているようだった。

 そうか、帰るのか。

 根拠も無く、そう感じた。とっさに手が伸びる。

 ――何だよ、これは!……余計なことをするんじゃない。いいじゃないか。あんなに帰りたがってたんだ、さっさと帰ればいい。こんな世界、いてもいいことなんて何も無い。

 息を整え、気持ちを落ち着かせた。まったく。夢だというのに、何でこんなに疲れるんだ?

 深いため息を付いてシンクは決めた。さっさと眠ろう。目覚めることの無い眠りだ。寝てる間に、自分を構成する音素も溶けて消えるだろう。そうしたら、疲れることも無い。
 大きく息を吸い込んで、目を閉じた。そして一度だけ、ソラを仰ぎ見ようとして――シンクは信じられないものを見た。

 まるで鳥のように両手を広げ、彼女が飛び降りてきた。



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