「あの女狸が仕えているのは皇家であって龍の姫ではない」

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 出雲の戦いは終わった。

 突如現れた黒い太陽、『禍日神(まがつひのかみ)』がもたらした災害は、二ノ姫率いる豊葦原軍に壊滅的な打撃を与えた。命からがら逃げ出したものの、被害は深刻だった。とても戦を出来る状況ではなかったのだ。
 それは敵国である常世の国も同じであったが、あちらはまだ本国に多数の兵が控えている。はじめから物量の差が違いすぎるのだ。中つ国の勝算は薄い。

 それでも、諦めるわけにはいかない。

 一縷の望みをかけ、旧豊葦原王家の重鎮達が多く逃れた熊野の地に、千尋達は向かった。





「結婚?」

 千尋は耳を疑った。
 今は激減した兵力を取り戻し、敵軍に対抗するにはどうしたら良いのか、という話をしていたはずだ。なのにどうして、自分の結婚話になるのか。

「その通りでございます、姫」

 そう言って微笑んだのは、豊葦原の重鎮として名高い狭井君(さいのきみ)である。
 穏やかな瞳の中に、時折奥深い思惑が見え隠れする。物柔らかな物言いだが、底が知れない女性だ。

「常世の国の勢力をお味方につけるのであれば、姫とアシュヴィン殿が真に手を取り合ったと世に知らしめるのが一番の近道です。それには、婚姻関係を結ぶことこそ、最も良い手段であるかと存じます」

 言われてみて、少し考える。……確かに、と千尋は思った。

 聞くところによると、常世の国もどうやら一枚岩では無いらしい。常世の国の荒廃を放置する皇(ラージャ)に反対する勢力も、密かではあるが確実に存在する。
 けれどそう言った人達のほとんどは、心の内に反発の思いを秘めていても動きはしない。それは皇に敵対する正当な理由が存在しないためでもあったし(戦をしかけるにはそれなりの理由が必要になるのだ)、勝算も無い賭けに出て己の身を危うくしたく無いという保身が故でもあった。

「姫と皇子が結ばれることで、皇子が真にこちらに味方すると内外に知らしめることができます。そうすれば、反皇の思いを持つ勢力が関心を持つのは必定。それを聞いて、お二人に手を貸そうと考える者も少なからず現れるでしょう」

 つまりは、かつぐ御輿として常世の皇子を与え、味方を集める。そうすることでこちらに勝算があると思わせ、あわよくばうまい汁を吸いたいと言う輩をもあぶり出そうと言うのだ。
 かつての神職者の言葉とは思えない、何とも物騒な話である。

「でも……そう、ね……」

 確かに、良い手段でもあった。今は何より味方が欲しい時だ。
 最も手っ取り早い方法は、王族同士の婚姻によって味方を得ることだ。こういう時の常套手段とも言える。
 けれど――。

「……」

 とっさに、千尋は言葉が出なかった。
 有力な相手に嫁いで協力関係を広げることは、王族として生まれた以上、義務であると言って良い。
 記憶を取り戻した時、同時に幼い頃より仕込まれた知識と皇女としての心構えをも取り戻した千尋だ。頭では理解できる事ではあったのが……。

(――結婚?……私が、彼と……)

 かつて女子高生であった頃の千尋の心が付いて行かなかった。

「それはこちらも考えた。確かに、有効な手段ではある」

 思案にふける千尋の様子を歯牙にもかけず冷静に答えたのは、今まさに、自分の結婚相手にと上げられた人物。常世の国の皇子アシュヴィンだ。
 とても敵陣の中にいるとは思えない、不敵な面持ちである。

「では、異論は無いと?」

 答えたのは狭井君だ。確たる答えを口にしないアシュヴィンを、測るように見据えている。

「さて、どうしたものか……。むしろ、そちらこそ、敵国の皇子に二ノ姫を預けることに異存無いか疑問に思うが?」
「……」

 思わせぶりに口の端を引き上げたアシュヴィンだった。大事な姫を渡してまで何が狙いだ、と言いたいらしい。 その問いに狭井君は答えず無言で微笑む。
 万事つつがなく、と言いたいらしい。

「――その調子では無いようだな」

 聞き出すのは無理と悟ったのか、これ以上の化かし合いは無駄だと思ったのか。

 アシュヴィンはそれ以上を問い詰めることはしなかった。
 早々に千尋と狭井君の二人に辞去を告げ、リブと共に人気の無い場所へと移動したのである。




 「リブ、お前はどう思う。この縁談の真意を」

 口火を切ったのは皇子からであった。
 目の前に横たわる湖面から目を放す事無く、腹心の部下であるリブに問いかける。

「はぁ、そうですね……。言葉通り、皇軍に対抗するための兵力の増強と言った面もあるでしょうが。あとは……」

 思案のため、リブはすっと目を細めた。
 いくつかの選択肢が、頭の中を駆け巡る。その中でも、『これは』と思ったものを手繰り寄せ、選り分ける。

「常世に対する撹乱と戦後の備え、でしょうかね。はい」
「ほぅ」

 興味深げにリブを見た皇子である。言葉を切った相手に、続けろ、視線で促した。

「えー、豊葦原の方々の最大の目的は、かつての王都である橿原の地の奪還です。私達が常世で反乱を起こせば、その鎮圧のため、橿原に詰めている常世の兵も動かさざるを得なくなります。そうすれば、かの地を守る敵兵の数も少なくなる。王都奪還もかなりやりやすくなるでしょう」
「たとえ俺達が失敗したとしても、橿原の軍には害は無い、か?」
「少なくとも、皇軍の兵力を割くのには使えますね。その上、共倒れしてくれればしめたものです。うまくすれば労せずして、かつての王都を取り戻せる。野蛮な敵国の皇子とは言え役に立ってくれたものよと豊葦原の人たちは大喜びです」

 目を光らせる皇子に、よどみ無く答えたリブである。
 ここまで遠慮なしで言うのは主人の不興を買いそうなものだが、皇子が気にした風も無い。それゆえに、リブも忌憚の無い意見が言えるのだろう。

「たとえ運良く私達が皇軍に勝ったとしても、強敵を相手にした後で疲弊した者が相手ならば、やりようはいくらでもあります」
「常世の国への不可侵を約定に、我らの姫を返せ、などか?」
「はい」

 抜かりの無いことだ、と鼻を鳴らした皇子である。本当に、とリブも苦笑を深める。

「一時敵国の后妃となりはしましたが、姫が正当なる王位継承者であることに代わりはありません。いくらでも理由をつけて、再度担ぎ直すことに何の支障も無いでしょうから」

 ここまで言って、ほとほと呆れた様子でリブはただでさえ細い目を更に細めて苦笑した。

「仰ぐ主君も道具とは、全く恐れ入ったものです。本当に何をお考えなのでしょうね?ただ一人の継承者であるというのに。少しでも事体が悪くなれば、姫の身すら危ういというのに」

 戦に絶対は無い。比較的安全な後陣に置いたとしても、無事に生き延びれるかは分からないもの。その上今回は自軍の中の話ではない。皇子と姫が誠に協力関係にあると知らしめるため、姫は常世の国まで赴かなければならないのだ。
 常世の国は姫にとって見知らぬ土地であるばかりか皇軍の……敵の本拠地でもある。その危険度は押して知れよう。それに、

「私どもが裏切るとは、考えていらっしゃらないのでしょうかね?」

 心底不思議に思ったリブである。

 戦時の事だ。ちょっとしたことで、その勢力図は一瞬で変わる。今日の友は明日の敵、その逆もまた然り。
 現に、つい先日まで敵であったアシュヴィンがこうして二ノ姫の軍勢に加わっているのだ。あながち無いとも言いきれないと思うのだが。

「考えてはいるだろうさ。ただ、それでも良いと思っているのだろうよ」

 つまらなそうに返したのは皇子である。
 その様子におや、とリブは笑み以外にはめったに動かさない表情を動かした。

「あの女狸が仕えているのは皇家であって龍の姫ではない。そう言うことさ」

 怪訝そうにするリブに、剣呑に目を細めて皇子は言う。

「特に、今の二ノ姫には龍の声を聞く力が無い。だったら姫にはさっさと子を為してもらうどうにかして、力を持つ子を――皇家の正当なる継承者を豊葦原の王に迎えようとでも考えているのだろうさ。最終的に、皇家の血が絶えなければ良いのだろう。それこそ、『方法なんていくらでもある』。どこにも似たような考えを持つ輩がいると言うことだ」

 皇子の揶揄する『方法』を考えて、リブは胸にこみ上げる不快感を感じた。
 これでもリブは、風変わりな中つ国の姫を気に入っていたのである。主である皇子が一方ならぬ興味を姫に感じていたのも理由の一つではあるが、それを差し引いても面白い、珍しいほど心根の真っ直ぐした姫だと思っていたのだ。

「こういった世の習いとは言え、嫌な話ですねぇ」

 できることなら、かの姫にはそういう所とは無縁でいて欲しかったものである。が、そうともばかり言ってられない。
 事体は動いているのだ。

「――それを踏まえてなお、殿下はこの提案を受けられるのですね?」
「それが妥当な選択だからな。こちらにとっても悪い話ではない。支援はあるに越したことは無いし、姫を人質にすることで戦後の常世を守る手段にもなる。――まあ、後のこと云々より、あの禍日神をどうにかしなければ、こちらもあちらも未来はないがな」

 出会った頃より、この皇子の見据える先にはブレが無い。常に遙か遠くを見据え、そこに至るにはどうすれば良いのかを考えている。
 そのためには非情なことも厭わない。例えそれが彼の本意にそぐわないことであっても、そ知らぬ顔でやってのける。

 けれど、今回ばかりはそうは行かないようだった。

「殿下もご不満でしょうに。まさかこういった形で婚姻を結ぶことになるとは……。殿下好みのやり方ではありませんでしょうに」
「皇家に生まれた宿命だな。そうれこそ、どうとなるものでもないさ」

 にやりと笑った皇子ではあったが、やはり不機嫌な様子は拭い去られることは無かった。



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