アスタリスク

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  5  

 人違いだ――。


 正直な話、の中では明確な結論が出ていた。
 確かに自分は記憶力はそれほど優れたほうではない。それでも自分の名前や年齢、親の名前、生い立ちを忘れるほど阿呆でも無ければ、忘れたいと思うほど人生を悲観してもいなかった。
 だからきっと人違い。
 彼らは私を、・ディックスと言う別人と勘違いしている。

 けれど結局、その誤解を解くことはできなかった。
 ――言えない理由ができたからだ。




「ここが……プラント?」
「こっちだ。ついてこい」
「あ、はい」

 すたすたと前を行く少年の後を、ははぐれない様に追いかけた。ここではぐれてしまったら、これからどうしていいか本当に分からなくなる。この世界の常識すらもおぼつかない自分では、即座に路頭に迷ってもおかしくないのだ。は必死だった。

 ――ついに来てしまった。

 目の前に広がる、ドームに覆われた空を見ては苦いため息をついた。
 ここはプラント。コーディネイターたちの住まう場所――。




 記憶障害では、と疑われた後、はようやく今自分が置かれている状況を説明された。
 しかしそれは、まるで物語のように現実味の無い話で。漠然と、ここが元々自分がいた場所ではないと予想していたにとっても、にわかには信じがたいことばかりだった。

「コーディネイターと、ナチュラル?」
「はい」

 会話の中から、一つ一つの事柄から聞きなれない単語にいたるまで、あれこれと問うに、男は辛抱強く答えてくれた。

 そもそもこの世界は、が知る人類の成り立ちから違っていた。
 いや、人間が存在していることは変わらないらしい。しかし、種類が違う。ナチュラルとコーディネイター。母親の胎内から自然に生まれ出でたそれと、遺伝子操作を受けて生まれる人間が存在しているのだと言う。それもつい最近の話ではなく、少なくとも一世代は前からの話で、今ではコーディネイターの数も一国を構成できるほどの人数になるというから驚きだ。
 元は地球に住んでいたコーディネイターも、数が長じるに連れて、自然と生活の場を宇宙へと移していった。そうなると面白くないのが地球に住むナチュラルで。

「元々、優秀な遺伝子ばかりで構成されたコーディネイターは、ほとんどの分野で生みの親であるナチュラルを凌駕していましたから。いつ反抗されるか不安だったんじゃないでしょうか。こちらはこちらで、不当な理由で思想や行動を抑制されていましたから、日々募る恨みは相当なものだったと思いますし」
「だから戦争……?」
「人の性でしょうね」

 穏やかに話す目の前の男は、自分はコーディネイターだと名乗った。そして、今乗っているこの船も、コーディネイターで構成された軍隊。ザフト所属のものだと。

 彼らの言うところの敵――ナチュラルであるは悩んだ。
 本当のことを言うべきだろうか? 自分がこの船に乗せられたのは何かの間違いで、自分は普通の人間、ナチュラルなのだ、と。しかし、言ったところでどうなる? 彼らの言葉を信じれば、ここでの自分は彼らの敵――憎まれる対象なのだと言うのに。






 結局、は『自分はナチュラルだ』と言うことが出来なかった。
 医者と少年の勘違いを利用して、負傷のため記憶障害、と言うことで話を通したのだ。幸いなことに、そういう人は多くは無いが確かにいるらしい。
 純粋に怪我のためにと言う人もいれば、悲惨な戦場を経験したせいで心が壊れてしまった人もいる。だから、後のことは気にしないで、ゆっくりと過ごすようにと言われた。

 その言葉に甘えて、それからの二日間は気の優しい医者と、ぶっきらぼうだが意外と親切な助手の少年のところでのんびりと過ごさせてもらった。実際、頭を打った時に処置してもらった薬のせいか、ひどい眠気が短い間隔で襲ってくるため、考える時間もなかったのだ。
 そして――。




 たった今出てきた宇宙港には、軍の宇宙船がところ狭しと並んでいる。
 そう、宇宙船だ。
 にとって本やテレビの中でしかなじみの無かった星の海が、ここでは一般的に行き来できるというのだから、これはもう驚きを通り越してあきらめるしかない。まるで夢のような本当の話だ。

 ……本当、夢なら良かったのになぁ。

 空を覆うドーム型の天井を見上げて思う。
 いったい何の因果(いんが)でこんなことになってしまったのだろうか。夢だと思いたかったが、味覚も嗅覚も触覚も完璧な夢なんて見たことも無いから、これはきっと、現実なのだろう。頬もつねってみたがしっかり痛かった。
 こうなると自分に出来る事は少ない。ひとまずこの現実を受け入れるしか無かったのである。
 は深くため息をついた。

『……資源惑星ヘリオポリス崩壊の影響は多方面に広がっており、オーブからの度重なる不当な要求に、プラント最高評議会は……』

 乗り込んだ車のテレビ画面から流れるニュースは、どれも戦争に関することばかりで、つい目をそらしたくなってしまう。けれどこれも、この世界の情報量が不足しているにとっては貴重な情報源のひとつだ。分からない単語については、隣で運転している少年に質問しながらテレビに耳を傾ける。

 突然、画面の雰囲気が変わった。ピンク色の髪をした少女が微笑んでいる映像が映っている。
 こういった、普段では絶対お目にかかれない目や髪の色にもようやく慣れた。なんせ、船の中から港から町まで、鮮やかな色彩のオンパレードだ。生物学的にありえないだろそれ、な髪形髪色を立て続けに見せられ、は悟った。
 ――ここで常識は通用しない。イベントだ、ライブだ、ロックの世界だ。そう思うと外れるあごの回数が減った。
 けれど長い長い、目にも鮮やかな桃色の髪にはさすがに視線を奪われて。

「ラクス嬢か」

 いつも無口な少年が、めずらしく自分から口を開いた。ちらりと画面に目を走らせる。

「知ってるの?」
「有名だからな」

 それだけ言って黙る少年に、は目線で問いかけた。
 この少年はひどく無口で自分からはほとんど口を開こうとしない。けれどこの二日間、ほとんど質問攻めにしていたおかげで彼との会話にも大分慣れた。
 意外と察しの良い彼は、たったこれだけでこちらの意図を汲み、何かを問う前に自分から説明を始めてくれる。

「現プラント最高評議会議長、シーゲル・クラインの一人娘。最近では歌姫としての評価も高い。いわゆるアイドルとしての活動より、戦地での慰問やチャリティー活動を主な活動内容にしている。今回も、その件での記者会見みたいだな」

 言われてみれば、追托慰霊団の代表がどうとか言っていた気が……。
 矢継ぎ早に発される記者の質問に、画面に映る少女はおっとりと答えている。――確かに、どこか癒される雰囲気のある少女だ。
 澄んだ優しい声が身に染みる。



 ぼんやり目を閉じて耳を傾けているいる内に、達の乗った車はザフト軍本司令部についた。



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