アスタリスク

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  7  

「――何にもないし!」

 部屋の中は、恐ろしいほど殺風景だった。
 備え付けのパイプベットと机と椅子。いかにも間に合わせ、な感じの、安物の座り心地の悪そうなソファ。その前に置かれた、唯一の私物らしいノート型パソコンのようなものと数冊の科学雑誌。
 それ以外は何も無い。
 寝て起きるためだけにあると言わんばかりの部屋だ。

「……困った」

 必要なものは手の届く位置においておく主義(端的に言えばものぐさ)だから、きれいに片付けられた部屋に困った。なんてわけではもちろんない。
 ちょっとばかり拝借させてもらおうと思っていたシャワーのための替えパンツが無さそうだってのも理由ではあるが、この場合は違う。

「これじゃあどんな人が住んでいた部屋か想像もできないじゃないか……!」

 は頭をかきむしった。
 実は、部屋にある私物から、・ディックスの手がかりを得ようと思っていたのだ。
 どうしたって、部屋には住んでた人の痕跡が残る。たとえば灰皿や残り香からタバコを吸うか吸わないかなんてのも分かるし、読んでる本からもその人の人柄を想像できたりもする。
 一番良いのは日記や家族の写真なんかだが、この部屋はそれ以前の問題だった。
 人が住んでいたのかすら怪しい。

「本とか小物もほとんどないし」

 あるのは科学雑誌だけ。ぱらぱらめくってみたけれど、さっぱり意味が分からない。
 もしかしたら、は科学を偏愛している女の子だったのだろうか?
 ……いや、どうにもその線は違う気がする。雑誌は『読み終わったら用済み』と言わんばかりに、ゴミ袋につっこんであった。

「いやいや、めげるなわたし。まだパソコンがある」

 宇宙すら旅行できちゃうこの世界のことだ。日記も写真も……もしかしたら替えのパンツだって、パソコンの中に収納されているのかもしれない。

「さすがにそれはないだろうけど」

 人様のものを勝手に覗き見る罪悪感と葛藤しながらも起動されたパソコンは、やっぱり普通のパソコンで。
 操作方法とかは少し違いがあるようだが、電子機器なんてもんは適当に使えばなんとなく動くもんだ。思いつくままパソコンの中を調べてみたけれど、それらしいものは見当たらなかった。

「だめか……」

 諦めてパソコンの電源を落とした。何の手がかりもつかめなかった徒労感に、思わずため息が落ちる。
 せめて何か無いかと、あきらめ悪く机の上を見る。
 すると、パソコンの後ろに小さい影が落ちているのに気づいた。手を伸ばして、拾い上げてみる。

「――ブレスレット?」

 深い青いビー玉のついた、シンプルなブレスレット。
 ビー玉なんて触るのは小学校以来だ。不思議な気持ちで眺めてみる。
 本当に何の変哲もないガラス玉だ。普通のものより、少し小さいような気がするけど、青い色をした、ただのビー玉。

「…………わからん」

 ビー玉からは何も思い浮かばなかった。子供じゃ無いのだから、ビー玉遊びもないだろうし、もしかしたら誰かからもらったものかもしれない。
 物を持たないだろう『』の珍しい私物だ。日にかざしたり、手のひらに転がしてみたり。思いつく限りの方法で観察してみる。
 ――やっぱりただのビー玉だ。
 なんだかなーと思いながら、軽く息を吐く。

 そもそも、本物のはどこに行ってしまったのだろう?
 ふと、単純な疑問が頭をよぎった。

 おそらく、最初にアスランと会ったあの船に、彼と一緒に乗っていたのは間違い無いだろう。どんな理由でかは分からないが一緒に脱出する手段も用意していたみたいだから――ウェザリウス、だったか?――戻るはずだった母艦にも戻る予定だったようだし。

 けれど、そこに自分が現れた。本物の『』に成り代わって、アスランと共に脱出し、船を降りてしまったのだ。
 なら、彼女はまだあの船にいるのでは無いか。
 ごくり、と喉が鳴る。

 ――取り返しのつかないことをしてしまった気がする。
 結局、ザフトはあの船を逃してしまったみたいだけれど、彼女が無事でいるかどうかは分からない。
 逃げることもできず、今だあの船に彼女がいるだろうことを知っているのは自分だけなのだ。

 言わなければ。

 頭では分かっていた。けれど保身が先に立った。
 身体が、動かない。
 息すら止まって身動きが取れず、時を止めたその時だ。唐突に、来客を知らせるチャイムが鳴った。

「――。……誰、だろう?」

 ふと、去り際に白髪の少年から説明された内容を思い出した。
 いわく『記憶障害のことはザフト本部に伝えておくから、後で連絡があるはずだ』と。

「あ、はい。今あけます」

 それ関係だろうか?は急いでドアに近づき、鍵を開ける。すると――。

「よう。準備は出来たか?」
「え?」

 やたらキラキラしい金髪の兄ちゃんが待ち構えていた。

「っと、着替えもまだか。悪いが、時間が無いんでな。船でしてくれればいいから、とっと行くぜ」
「は?」
「自己紹介がまだだったな。オレはミゲル。ミゲル・アイマン。ミゲルでいいぜ」

 キラキラ兄ちゃんはこっちの事情もお構いなくぺらぺら喋りながら、部屋に入って来る。
 口と同時に手も動かせるタイプらしい。ソファの上に放り投げたバックに、その周りに散らばってるタオルとかペットポトルとかを一緒くたにギュッギュと詰め込み、よっこらしょと荷物を担ぎ上げる。
 ――いやいやいやいやちょっと待て。パソコンってそんなに手荒に扱っていいもんだったでしょうか?

「いや、そんなこと聞いてるんじゃなくて」
「あんたの名前は知ってるからいいぜ。予定時刻より出港が早まったんだ。連絡はしたらしいんだが、どうした? 返事が無いって管制が困ってたぜ」
「いや、だから!」

 人の話を聞かない男だ。こっちに来てからこの手の人ばかりに当たってる気がする。

「故障でもしてたのかね? ……ま、いいか。ほら、行くぞ」
「は?」

 話題の変化についていけない。
 行くってどこに行くと言うのだ。

「――み・な・と。急げよ、あと10分で出港だ!」
「え、ちょ……、え!?」

 引きずって連れて行かれた先には、大きな大きな宇宙船。押し込められたらすぐ出発。

 説明なんて一切無く。
 気がついた時には、とっくの昔に宇宙(そら)の上だった。



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