アスタリスク

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 ――野良猫だ。
 その姿を見て真っ先に思い浮かんだのはある日弟が連れ帰った、毛をガビガビに逆立てた野良猫の姿だった。

「……や、こないだぶり」

 ちょんと手を上げて、一歩前に進む。向こうはまだ警戒モードでこちらを見ている。……よし、まだいける!
 少年の様子に注意を払いつつも、はさらに一歩前に進み距離をつめた。

「えっとね、何だかよく分かんないんだけど、これから私が食事とか運ぶことになったみたい。……てなわけで」

 よろしくね! と取っておきの笑顔で笑いかけてみたんだ、が。

(反応無しですどうしよう。この沈黙が一番こわい!)

 友好的に笑った分だけ余計こっ恥ずかしい。差し出したこの手の行き場をどうしたらいいのか!
 流れるような自然な動きで、は握手に出した手を後頭部にあてた。困ったような仕草で頭をぽりぽり掻く。
 適度な刺激は脳を活性化させるんだってさ!(テレビで言ってた)断じて誤魔化してなどいない。

 ひとしきり掻き毟っては見たものの……元の頭が良くないせいかこれと言った名案は浮かんではこなかった。
 キラは相変わらずの様子でこちらを注視している。
 ……の頬に一筋の汗が流れた。


「その、ごはん! ……食べないの?」
「…………」
「冷めちゃうよ? と言うか、もうだいぶ冷めてるけど」
「…………」
「えっと……」

 キラは答えない。ピクリともせず様子をうかがっている。
 どうしたものかと頭をひねるが、妙に焦ってしまって考えがまとまらない。こうした時、人が取る行動は大体決まっている。気ばかり焦って言葉にならないか、もしくは――。

「あ、温め直して来ようか!?」
「…………」
「もしかして、嫌いなものでも入ってた? 分かる分かる! わたしもそうだよ。嫌いなものがちょっとでも触っちゃったら味とか匂いとか移ってそうでちょっと食べるのいやになるんだよね!」

 まとめるのを放棄して、とりあえず思いついたことを矢継ぎ早にまくし立ててみるか、だ。

「でもごめん! 今代わりのものとか無いからさ。触れた部分も一緒にちょちょっと避けて食べるとか! あ、どうしても嫌ならスープだけでも! 今日のスープは絶品だよ! ホクホクじゃがいもとキャベツのオニオンスープ! 材料はあり合わせだけど塩加減が絶妙! 味気ない一般兵士食堂の久々のヒット! どうよ!」
「…………」
「あ、あの……?」
「………………」
「――――コンニチワ、ボクドラ○モンデス」
「……………………」
「アタシリ○チャン、イマイエノマエニイルノ」
「…………………………」

「……あ゛ー!!」

 そんな感じで、一日目は終わった。






「ちょっとどう思うよ、おやっさん!」

 酔っ払ったサラリーマンがするように、は『ドン!』と手にしたコップを机に叩きつけた。
その中身は酒でもなんでもない、ただのジュースである。まさか軍の食堂に酒類を置いておけるはずも無い。上級仕官が使う、特別なラウンジは違うらしいけど。

「この三日間、あの子炭水化物しか口にしてないんだよ! た・ん・す・い・か・ぶ・つ! あと水をちょっと。どんだけ偏食なんだもったいないー!」

 昨日の煮っ転がしなんて、当たり外れの激しい軍食堂のメニューの中では久々の当たり物だったのに!
 怒り心頭のに「おーおーそうだなー」と相槌を打つおやっさんがぐびぐびやってるのは、まごう事なき酒であった。……ちょっと待て。それはどこから持ち込んだ?

「で、どうなんだ? 少年の怪我の具合は」

 悪くないならいっそ食堂に連れて来くればいいじゃないか、とおやっさんは言った。イージーだなおい!
 一応、彼はまだ捕虜の身の上なのだ。身元の確認が取れていないから、基本的には許可を取らなければ連れ歩けない事になっている。

「いや、一番最初に連れてこようと思ったんだけどね」
「来ようとしたのか?」
「うん」

 けろっとして言ったのはである。おやっさんが「ははっ」と苦笑した。

 許可なんて知ったことか! いざとなったらミゲルが責任を取ればいいのだ。

 説明もそこそこに一方的に仕事を押し付けられて、は大層立腹していた。基本『長いものには巻かれろ』が身上のであったが、元々は短気な性質(たち)なのだ。
 言葉通り、食堂に連れ出そうとした。しかし結果として、キラは一歩も部屋から出なかった。

『あの時、こりゃだめだと思ったよ……』

 当時を思い出して、後日はほとほと疲れ果てた様子で言ったものだ。

 いくら言ってもうんともすんとも言わない。仕方なく手を引いて食堂に連れて行こうとしたら、全身全霊で拒絶された。――いや、雰囲気的になんて話じゃなく、本当に手を振り払われた。その上、彼は目で見てわかるほど鳥肌を立てまくっていた。
 ……生理的にまで拒否されて、は驚くやらショックやらでちょびっとだけ凹んだ。

 どうやらキラは他人に触れられるのを極度に嫌がる傾向にあるらしい。近寄っただけで全身の毛を逆立てて警戒する彼に、それ以上の無理強いは出来なかったのだ。

「…………なんか、無理みたいで」

 多くは語らず、はそれだけ言ってため息を付いた。軽々しく話していいことじゃ無い。それを感じ取ったのか、おやっさんもそれ以上深くは尋ねてこなかった。ただ「そうか……」と腕を組み。

「無理もないかも知れんな」

 とあっさり言った。

「……無理も無いって――何が?」
「回り中、知らない奴だらけだろう?そんな中に入っていくのにはそれなりに勇気がいる。そういうのが苦手な奴もいる。……だがなぁ。ずっと部屋に閉じこもっているのも気が滅入ってきそうだがな。一人ぼっちの食事ほど、寂しいものはないだろうに」

 うんうん、と頷く姿には、妙な感慨があった。似たような経験でもしたことがあるのだろうか?いっつも基地内をふらふらしているおやっさんにも、それなりの過去があるのか。

 しみじみしているおやっさんを横目に、は『ふむ……』とひとつ考えを思いついていた。

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