青春10題

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  夢のような……  

 月曜日だけ、私はいつもより少し早いバスに乗る。ただ学校に行くだけのためには、少しばかり早い、このバスに。
 登校時間より少し早いこの便はラッシュ時から外れているから、とても快適な時間が過ごせる。のんびり朝の風景を楽しむのも良いし、1限目の英語の小テストの勉強をするのも良い。まばらだけど席も空いているから、座ろうと思えば座れる。学校までの道は坂が多いから、立っているとそのゆれで結構疲れる。だから椅子が空いているととても嬉しいんだけど、この時間だけは、例外だ。私は決まって立ったまま、学校までのこの時間を過ごす。だって、座ると良く見えなくなるから。――あの人が。
 前髪に隠れてちらりと盗み見る。いつも同じ。先輩は厳しい顔をして流れる風景に視線を向けている。考えてることは生徒会のことだろうか? テニスのことだろうか? その中に、私の入る隙間は、たぶんほんの少しも無いんだろう。
 それが少し寂しくて、私は束の間目を伏せる。――だいじょうぶ、分かってる。夢みすぎだって言うのは分かってる。こうやって、わずかな時間でも先輩の近くで、先輩の姿を見ていられるだけで。それだけで私はとても幸せなんだって。
 だから私は、この幸せの時間が少しでも長引くように祈る。信号で止まると嬉しくて、乗客の出入りで時間がかかると今日はラッキーな日だ、なんて一日中幸せでいられる。でも、悲しいかな、幸せな時間というのは、そうであればあるほど終わるのは早くて。
 坂の向こうに、朝日に照らされた校舎の姿が見えた。今日の幸せも、もうすぐ終りだ。
 パスケースを出して列に並ぶ。――嬉しい。今日はなんて幸運な日だろう。私はドキドキする胸を押さえた。
 私の前に立つのは手塚先輩だった。同じようにパスケースを出して、テニスバックを抱えなおしている。
 こんなに近づくのは初めてのことだ。相手に自分の姿が見えていないとはいえ、緊張する。すごく。それでも目だけはしっかり先輩の姿を追っていて。
 パスケースは茶色の皮製だ、とか。バックにつけてるキーホルダーは青春台神社のお守りなんだ、とか。
 小さなことだけど、新しく知った先輩の素顔が嬉しくて、自然にほほが緩んだ。浮かれた気持ちを表すように足も軽くなる。でも、それがいけなかったのだろう。いつもと違う状況で、浮かれた私はバスのステップから足を滑らせてしまって。

「危ない!」

 気づいたときはもう遅かった。あ、と思ってるうちに地面がどんどん近づいてきて。
 ぶつかる。目を閉じ、ついで来るコンクリートの衝撃に体を硬くする。けれど、それはいつまでもたっても来なかった。

「…………?」

 恐る恐る目を開ける。やっぱり、地面は遠いままだ。さらり、とほほを髪が滑る感触がした。そして、肩にかかる誰かの手も。

「無事か?」
「は、はい」

 ありがとうございます。
 それは言葉になる前に、喉にからんで消えてしまった。かくん、と。膝から力が抜けていく。
 目を疑うってこういうことなんだ――。
 朱に染まる自分の顔を意識しながら、でも、目が離せない。驚くほど近くに、助けてくれた人の顔があった。さっきまで、こっそり見つめていた、その人が。


「本当にありがとうございました!」
「いや、大事無いなら良かった」

 優しい言葉に感謝して、下げた頭をゆっくり上げる。本当に信じられない。ずっとずっと、話しかけられなかった人が目の前にいて、会話してるんだから。

「本当に助かりました。あのまま転んでいたら、どうなっていたか」

 顔を赤く染めたまま、私は必死に言い募る。だって、一度止まってしまったらきっと一言もしゃべれなくなる。こんな機会は、きっともう二度とない。

「あの、良かったら……ご迷惑じゃなかったら、その……」

 すごくすごくがんばって、私はその言葉を口にした。赤いほほが、痛いほどに熱を持つ。

「何かお礼させてもらえないでしょうか? 私にできることで、何か――」

 勇気を振り絞って、先輩を見る。先輩は、びっくりしたような顔で私を見ていた。ちょっと困ったように首をかしげ、そして。

「あ、あの、ご迷惑だったら、その……」

 何か言われる前に、さえぎるように私は言った。顔を背けるように、下を向く。きっと、断られるんだろう。先輩は遠慮深い人だから。
 私は、拒絶されるのが怖かった。だから、断られる前に引こうとしたんだ。でも――。

「……いや、そうだな」
「え?」
「今日の放課後、時間はあるだろうか? 少し付き合って欲しいところがあるんだが」
「あ、はい。大丈夫です」

 思わぬ言葉に、私は顔を上げた。そんなことでいいのだろうか? 不思議に思い先輩を見ると、先輩は困ったように斜め横を見ている。なんだか頬が、少し……赤いような?

「できれば、明日も、あさっても、付き合ってほしいのだが」
「え?」
「実はその……。少し前から、君の事を見ていたんだが……」

 告げられた言葉に、私は本日2度目の、膝が砕ける思いがした。






「て感じになるといいなって思ってるんだけど、どう思う、リョーマ?」
「ありえないし」

 部長、バス通学じゃないから。
 乙女の妄想の前で、そんな問題は些細なことよ!

 至極もっともなリョーマの意見は、とち狂った幼馴染の一言に却下された。



青春10題「03.妄想炸裂デンジャラスガール」

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