プールに飛び込み
「何をやっているんだ、馬鹿者!」
無事を確認してほっとしたのも束の間。
怒声を上げる真田に、プールにいた彼女は右手を大きく振った。
「映画を見たんだ」
「何?」
びっしょりと濡れた制服を引きずって、少女はプールサイドに体を乗り出した。
濡れた髪からぽたぽたと雫がこぼれる。スカートの端をぎゅっと絞り水気を切った彼女は上機嫌な様子で。
何を考えているのかと、真田は眉をしかめた。
それを見つけたのは、幸運だったのだろうか、不運だったのだろうか。
どちらにせよ目撃してしまった以上、現場に駆けつけるのは真田にとって至極当然な成り行きであった。
ぎょっと目を見開いたのは一瞬。
会話の途中ではあったが、その相手、柳を置き去りにして真田は一目散に走り出した。呼び止める声が聞こえたが、立ち止まるわけにはいかなかった。
――校舎脇のプール。
その飛び込み台の上で、今にも落ちそうに水面を覗き込んでいたのは、彼の昔からの知己の人物、であったのだから。
駆けつけた時には、彼女はすでにプールの中にいた。水の真ん中で、まぶしそうに青を増した七月の空を見上げいた。
「高校が舞台の、恋愛物だったんだが」
しかめっつらの真田とは対照的に、ひどく嬉しそうに、彼女はある映画のタイトルを口にした。
それは、そういったものに疎い真田ですら耳にした事のあるほど話題になった青春物の映画の名前で、クラスでも話題になったことがある。
同じくらいそうしたことに疎い彼女であっても、知っていて不思議ではない作品だった。
「その中で相手役の少年がプールに飛び込むシーンがあって、それがひどく格好良くてね」
どうしてもやってみたくなったんだ。
希する行動を成し遂げて非常に満ち足りた様子の彼女に、真田は頭が痛くなった。
やってみたくなっただけでプールに飛び込むな! とか。なぜあえてヒロインではなくヒーローの真似がしたくなるんだとか。せめて水着に着替えてからにしてくれ、とか。
最後の言葉には「少年も制服だったんだよ」との答えがあって、思わず、溺れたのかと思ったのだぞ! と怒声を上げてしまった。
するとその言葉に、彼女は怪訝な顔ではて、と首をひねり。
一考して、ひどく不思議なものを見たとでも言わんばかりの表情で、もしや、と口を開いた。
「もしかして、心配かけたのか?」
「当たり前だ!」
叫んだ後、どっと力が抜けた。安心半分、疲れ半分だ。
学校に通うようになってから最近、彼女の性格の変化が著しい。それに付き合う(と言うか巻き込まれる)内に、こんな様相になってしまった。
心身共に日ごろから鍛えている自分ではあったが、彼女にかかるとそれらの前準備がからっきし意味を成さない。
思わず深いため息が。
「弦一郎。弦一郎?」
ひらひらと眼前で手を振る友が妙に憎らしい。
いくらとんでもなく頑丈に鍛えてあるとは言っても、一応作りは女なのだ。そう思って何かと気にかけているこちらの杞憂を、ことごとく台無しにしていく彼女の鈍さと言うか認識の薄さにぐったりした。ほとほと疲れきっていた。
俺の身にもなってくれ。
眉間にしわを寄せる元気すら無くしこめかみを揉んでいると、指の隙間からさすがに反省したのだろう。肩を落とす少女の姿が見えた。
仕方ない、か。
感情表現に乏しかったこいつが、こんなにも表情豊かになったのは嬉しい変化であることは間違いないのだ。
苦笑いのようなため息と共に、真田はほんの少しの笑みを浮かべた。それは質実剛健、実直不器用が代名詞の真田弦一郎にしてはひどく珍しい光景だったのだが。
「すまない。以後気をつける」
見慣れているにとっては、これと言って驚くべき状況でも無く。
神妙な顔で頭をたれる彼女に、頼むからこれきりにしてくれ、と今年何十回目か分からない嘆願を真田は疲れと共に口にしていた。
学校20題「06.プールに飛び込み」