不純異性交遊について
「ねえ、。どうしてあの時『もう二度と来ない』なんて言ったの?」
幸村の問いかけに、日誌を書いていたの瞳が珍しくぱちりと見開かれた。
そんな無防備な表情を見るのは初めてだったので、おかしいような嬉しいような、何だか不思議な感じがして、つい笑ってしまった。
むっと眉を寄せる彼女にごめんと謝って、もう一度聞く。
彼女は手を止め、聞かれた内容を吟味するかのように思案顔を浮かべた。
「それは、見舞いの時のことか?」
「うん、そう」
良く覚えていたな、と苦笑する。そんな彼女に、印象深かったからと幸村は答える。
は手にした黒表紙の日誌を閉じた。
ふむ、と腕を組みうなり出した彼女を眺め、幸村は静かに待つ。
HRが終わってから大分経ったせいか、放課後の教室には幸村との他に誰もいない。
煙(くすぶ)るように熱い夏も終り、日が沈むのも早くなった。痛いほど強く差し込む夕日の綺麗なオレンジが、人気の無い教室にゆらめいて伸びる。
「――幸村が笑ってたから、かな?」
「前も同じこと言ってたよ。は」
苦しい言い逃れに、幸村は笑顔で返す。
たいそうきれいな微笑みだったが、目は笑っていない。
は「そうだったか?」なんてとぼけていたけれど、指先がそわそわと落ち着きが無かった。はっきり言ってバレバレだ。意外と彼女は嘘がへただ。
「そうだよ。ね、。どうして?」
相手が、むむ、と眉を寄せるのが分かった。
口にして良いのだろうか? そう迷っているだろう事が、表情を通して伝わってくる。
変なところで察しが良くて、変なところで気を回す彼女らしい。
そんな所も好ましい。
そう思ってしまう自分の気持ちに苦笑して(顔だけは真剣なままで)頼むよ、と幸村は言葉を重ねた。
どうしても聞きたいんだと言ったところで、ようやく、しぶしぶと彼女は口を開いた。
「――幸村、疲れてただろう?」
「……、俺が?」
「急に行ったからな。委員長と話してる間も張り詰めた様子だったから。どんな病気か、あの時はまだ私達知らされていなかったし、もしかしたら気軽に触れてはいけない状況だったのでは無いか、と」
「……」
余計なお世話だったかもしれないが、と詫びる彼女に、幸村はとっさに声が出なかった。
驚いたような納得のような、不思議な感じだった。
やはり彼女は気づいていたのだ。
「いや、助かった、けど」
言葉に詰まる幸村に、それなら良かった、と彼女はわずかに笑った。
その笑みに目を奪われていると、彼女は話は終りだ、とばかりに日誌を手に立ち上がった。その動きが妙に素早い。
そんなの手を、幸村は逃がさないように捕まえた。
「それだけ?」
「……それだけ、とは?」
今度は言葉に詰まるのは彼女の方だった。
相変わらずしらばっくれる相手に、幸村はさらにきれいな笑みを浮かべて問いただした。
「それだけなら日を改めて来ればいいだろう? なんで、『二度と』、なんて言ったんだ?」
それが一番聞きたかったんだ。
言い含めるように、言葉を短く切って言う。
しっかり捕らえた彼女の瞳が――本当に珍しい事だ――ばつが悪そうにそらされた。
「……黙秘は無し、か?」
「当然」
間髪いれずに答えると、細い肩ががっくり落ちた。
そうだな、こんなやつだよな、君は。なんて呟きが聞こえたけれど、聞こえないふりで押し切る。
「――警戒していただろう、私たちのこと」
ぽつりと落ちた彼女の言葉に、手の力が緩んだ。致命的な一瞬だった。
逃げようと思えば逃げられただろうに、何を思ったのだろうか。表情を固まらせる幸村に抗うこともせず、彼女は静かにそこにいた。
「だから?」
「ああ」
そこで口を閉ざした。
それ以上は何も言わないと無言の意思表示だ。ただ黙って、は動かない幸村を見つめている。
少しして、幸村が顔を上げた。
「今は?」
ぐっと、頬が引き締まるのが分かる。
「今でも、来ない?」
これでは、だだをこねているみたいだ。
今までに無い自分の言動に驚き、半ば呆れながらも、幸村は言葉を止めることが出来なかった。
苦しいような、痛いような。
時間にすればほんのわずかなものだっただろうに。永遠にも感じられたその時を、ただじっとして返事を待つ。
それに応えて、は口を開いた。決まってるだろうと、不敵に。
「――行くよ。毎日でも行ってやる。君が嫌じゃないならな」
からりとした笑顔で彼女は言った。
その言葉を胸に受け、うずくように喜び広がる感情を自覚した、その時に。
幸村は一人微笑み、心を決めた。
「ねえ、。不純異性交遊をどう思う?」
「……えらく時代錯誤な言い方だね、幸村」
真田のが移ったのかい?
そう言って苦笑する彼女を、「不純じゃないし、いいよね」と追い掛け回す幸村の姿がこの後何度も目撃されることになる。
学校20題「16.不純異性交遊について」