「我が名は布都彦。お相手いたそう!」
先陣を切ったのは布都彦が率いる歩兵部隊であった。
夜の闇に紛れ、可能な限りギリギリまで近づいてからの強襲だ。まさかの背後からの攻撃に、今にも岩砦に総攻撃を仕掛けようとしていた炎雷軍は完全に浮き足立った。
「な、何だ!?」
「なぜ後方部隊が攻撃を受けているのだ!?」
敵軍にとって災いだったのは、投石器などの対城塞攻略用兵器を後方に配置していたことであった。
よもや後方から敵が押し寄せてくるとは考えていなかったから、配置していた人員は最小限。それも、主に兵器の扱いに慣れた兵ばかりで、武器言ったら小刀ぐらいしか持っていなかったのである。
結果は日の目を見るより明らかだった。
「うわあああー!」
「ひぃ、逃げろ!」
元々、今回の戦では本来兵役についていない農民を徴兵して無理に働かせていたのだ。最初から忠義の心など無いに等しい。その上、安全の所から攻撃すれば良いから、と集められたのに、今回の事態だ。とても付き合いきれない。
我先に、と逃げ出した。
「今のうちだ。片っ端から縄を切れ!」
号令一つ。
岩を投石するためのからくりの縄や、弓の弦(つる)を切って回る。
布都彦を始め、軽装備で身を固めた部隊だ。身軽さは言うに及ばない。敵陣を縦横無尽に駆け回り、着々と敵兵器の無力化を進めていった。
あらかた片付けて敵の遠距離攻撃兵器を根絶やしにした頃、ようやく常世の陣が反応を見せた。
「第二部隊、前へ!」
がっちり盾を手に持った部隊が駆けつけた。右手にはおのおの武器を持っている。
完全武装の兵を見て、中つ国の兵たちの顔色が変わった。
「逃げろ!」
蜘蛛の子を散らすような速さだった。身軽な兵達は、一目散に敵兵に背を向け走り出す。
そしてその中に、難しい顔をした布都彦の姿があった。
「…………」
「堪えろよ。これも役目だ」
「ああ」
大丈夫かね、と目線を走らせるのは、出雲の頃から付き合いのある兵である。併走するその相手に、布都彦は言葉少なく答える。
「撹乱(かくらん)と陽動だ。分かっている」
二人は殿(しんがり)。つまり最後尾で逃げる仲間達のため敵兵の攻撃を防ぐため、少し遅れての逃走劇であった。
必然、敵兵と刃を交えることも幾度かあったが、全て数合で終わらせ逃げの一途をつらぬいている。
「おのれ、逃げるばかりしか能が無いのか! 戦士ならば尋常に勝負せよ!」
「く……!」
顔をこわばらせた布都彦であったが、そこは堪えた。これも計画の一部なのだ。自分の当てられた役割は、敵の対空戦力を減らし敵をひきつけつつ被害をこうむる前に離脱すること。
姫じきじきに声を頂いての出陣だ。いかな恥辱に耐えてでも、成し遂げる覚悟で望んだことだった。だが――。
「やはり五年も逃げ回っていた小娘の部下か!? 主(あるじ)に良く似た腰抜け共め!」
この言葉にだけは無反応ではいられなかった。「おい!」と声を荒げる仲間を背に、布都彦は足を止め、手にした槍を地面に突き立てた。
はらりと、風に乗って、額巻きの端が踊る。
「我が名は布都彦。お相手いたそう!」
「そうこなくては!」
駆け寄る男は大層な風貌であった。
引き締まった頑強な身体に、無駄の無い体さばき。手にした武具や身に着けている衣装から、常世の国でもなかなかの武人であることは窺い知れる。戦士としては小柄な方に位置する布都彦と並ぶと、大人と子供のようだ。誰もが男の勝利を確信していた。
けれど、勝負は一瞬だった。
「な……!」
「――はぁ!」
白い閃光が走ったかと思ったら、地に伏していたのは屈強な常世の男の方であったのだ。獲物を追い立てる猟犬のように勢い付いていた敵軍に、ざわりと動揺が走る。
「――っ」
しまったと目を泳がせた布都彦だったが、判断を下したら、後は早かった。
一目散に逃げ出したのだ。
それを見て、怖気づいた敵兵も、ようやく勢いを取り戻す。
逃げる布都彦達を、集団で追い落とした。
「全く、無茶をする」
「すまない。しかし、あの言葉だけは――」
聞き捨てならなかったと零す布都彦に、出雲の男は『若いな』と苦く笑った。