「うなれ、漆黒の刃!」

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「お前には、詫びねばならんな」

 傷に痛む身体を引きずり、ひっそりと背後に立ったリブに、アシュヴィンは振り返ることも無く言った。

「お前のその傷は、俺が招いた結果だ。どう言いつくろおうと」

 遠く、兵達の上げる怒号が響いている。
 今この岩砦の外では、熾烈な戦いが繰り広げられていた。
 大軍を率いる炎雷の兵と、まるで潰されないことが不思議なほど少数の中つ国の二ノ姫の軍。そのふたつのせめぎあう声が、岩砦の中、本丸の一室まで届いている。

「千尋の率いた第二軍が気づかれた時点で、あの作戦は失敗したのだ。そうと分かっていながら、あれ以上あの場に留まることは得策であはなかった。すぐさま撤退に入らねばならなかったが」

 同盟を結んだ中つ国の救護も必要な措置ではあった。けれども、大将であるアシュヴィンが簡単に動いて良いものでも、決して無かったのである。
 それを指摘し、――まるで悔やむように言う己(おの)が主君の姿に、リブは常に浮かべる笑みとは違った思いが広がるのを感じた。

 とても不思議な感覚だった。今までの彼なら、悔いる事はあっても、それを口に出しすことは決してしなかっただろう。

 いや、そもそも彼なら『もっとうまくやっていた』はずだったのだ。私情を持ち合わせてもそれをうまくコントロールし、先の手を読み、時には切り捨てることも辞さず、着実に勝利をその手にする。それが常世の黒雷だったのに。

 ――あの時、それが出来なかったのは何故か。

 その理由を思い、リブはこみ上げる笑みを禁じえなかった。

「はぁ、まあ、そんなこともありますでしょう」
「……ふん」

 とりなすように言う従者に、素直じゃない皇子は不満げだった。
 相変わらず背を向け、その思いを語らず一息で表している。

 それに苦笑で返しながらも、リブは不思議と喜びを感じていた。
 王の道とは孤独な道だ。
 喜びも悲しみも、後悔も痛みも、それら全てを演じ分け、時に押さえ込み、王という役柄を演じなくてはならない時が来る。
 肉親を断罪し、時に実の兄弟をも殺し、好悪の情を消してでも、それでも燦然と立ち続けなければならないのだ。
 常人ではとても耐えられない道行きである。

 しかし幸いなことに、彼は生まれながらにして王の資質を備えていた。
 環境もあった。ムドガラ将軍と言う最適な指導者に導かれたおかげで、そういった意識教育もしっかりその意識に根付いていたのだ。
 後はもう道を切り開くだけであった。

 その中で、彼が何を得て何を失うのか。それはリブには計り知れないことであったが、それは思っても仕方の無いことであった。ただ、その行き先の中で孤独になっていく彼と、失われていく個としての彼を複雑な思いで見たこともあったが。

 そうなる前に、彼は見つけた。
 共に歩み、寄り添い立つたった一人の人を。

 それが良いことなのか、悪いことなのか、それを判断する気は無かった。
 ただ顔を見合わせ、瞳を和ませる二人の姿は決して不快なものでは無く。
 そしてそれによって生じる隙を埋めることが出来る立場に自分がいることが、とても嬉しく感じられて。

「や、ですが大切な姫の大事すら救えない男が、一国を背負えるとは到底思えませんので」

 にこにこ笑顔で言い放つリブに、息を呑んだように皇子は振り返った。
 まさかそんな返しが来るとは思ってもいなかった様子だった。鳩が豆鉄砲をくらったような驚いた表情で一瞬動きを止め。

 そして耐えかねたようににやりと笑った。

「……言うな、お前も」
「や、恐縮です」

 口が過ぎるぞと咎める皇子に、申し訳ございませんとどこか嬉しそうに応える従者の姿がそこにはあって。

「出るぞ!」

 外套を翻し颯爽と歩く主君に向かって、リブはいってらっしゃいませ、と深々一礼をした。







 強襲をしかけた忍人達は苦戦を強いられていた。

 上空に気を取られた常世の兵を相手に、うまく不意を突いての奇襲であったとは言え、元の総数が違いすぎる。
 かろうじて踏みとどまっているというのが現状だった。

「怯むな。後一歩踏みとどまれ!」

 激しい檄を飛ばしながらも、その胸中は複雑な思いがあった。
 策はある。ただそれに至るまでの、絶対的な力が足りなかった。

 あと一歩。その一押しが足りないのだ。

 もうどれほどの敵兵を手にかけたのだろう。
 分からないほど血に濡れた双剣が、手の中で滑り落ちそうな錯覚すら覚える。それを痛むほどに握り締め、忍人は部下を率いて切り込みにかかった。

 気になる点は他にもあった。
 ――千尋だ。
 先ほどから敵の注意をひきつけるため、最前線に出てきた中つ国の旗頭、彼女の安否の問題があった。

 今はまだ混乱した敵兵が上空まで攻撃を仕掛けるにいたっていないが、もうすぐその動揺も収まる。そうしたら、少ない弓矢や大地に転がる石つぶてに手をかけてでも、我先にと敵軍は彼女に攻撃を始めるだろう。
 そうなってくると、もうどうしようもない。もし彼女に何かあれば兵達の動揺は相当なものになる。とても戦を続けられるような状況ではなくなってしまうのだ。


 敵陣中央で敵将に矢を射掛ける千尋に、せめてもう少し下がるように伝えるため、半ば命の覚悟を決め。

 中央突破を試みようと意識を高めた忍人は、にわかにざわめき出した敵軍背後に浮かぶ黒い麒麟の姿を目に留め、大きく息をついた。

「どうやら俺の役目はこちらのようだ」

 刃に滴(したた)る血しぶきを振り払い、忍人は双剣をにぎりしめた。
 不気味に鳴り出した二つ刃が、迫り来る饗宴の予感に歓喜の声を上げる。
 その暴走する力を押さえ込み、虎狼将軍は目標方向に向かって大きく刃を振り上げた。

「我が王のため、ひとたび力を貸せ! ――うなれ、漆黒の刃!」

 強大な意思が、地に満ちる。



 その尋常ならざる力に、大気が震えた。



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