「――見ろ、兄君のお出ましだ」
急速に自覚する思い。
けれどそれをぐっと押し込んで、千尋は毅然と振り返った。
今は駄目だ。こんなに兵の目があるところで、泣くわけにはいかない。
きりりと顔を引き締めて、アシュヴィンをまっすぐ見返した。
「――先見?どういうこと?」
そんな千尋に、わずかに目を見張った後、ふっと笑って皇子は答えた。
その声音(こわね)が、わずかばかりに変化する。
「オレのほうにもいくらか報告が届いている。幾人も、逃げ延びる葦原の兵達を見たものがいた。第一軍だけでも充分戦えるが、まあ、彼らの力があっても悪くは無い」
悠々と腕を組みながら常世の皇子は言ったものである。
「体制を立て直したら、いくらでも戦えるさ。――なに、心配はいらない。先ほどの戦い、第二軍の撤退をお前は気にしているのだろうが、第一軍はそれ以上の痛手を向こうに与えている。皇(ラージャ)の兵も今は部隊の再編に追われているだろう。すぐにこちらに攻め入る余力など無い」
その一言で、ざわり、と空気が動いた。
辺りにいた兵士の意識が一瞬で二人に集う。
疲労と不安に沈んでいた瞳に、一縷(いちる)の光が差し込んだ。
そうして、皇子はにやりと笑みを浮かべる。
目に見えない何かが、その場を駆け抜けたような気がした。
その男を中心に、皆の様子が、まるで色を変えるように塗り替えられていく。
「必ず勝つ。だから、お前は笑っていればいい」
自信に満ちた瞳で、常世の皇子は言い放った。同時に、『おお!』と上がる、気迫に満ちた幾人もの声がして。
千尋は理解した。
今の言葉は、自分にだけ向けられものではない。これは、兵士達『みんなのための言葉だ』。勝機を見出し、兵に希望を与える。未来を示す、主(あるじ)の声――。
悔しいながらも、さすがと思って見返す。
けれどそこにあったのは、予想もしていなかったほどに優しく暖かいまなざしで。
急速に、頬に熱が上がるのを感じた。それを見て、辺りに集う兵士達は面白いものを見たと、さらにやんやと喝采を上げる。
負け戦の気配は、その時、完全に拭い去られていた。
そうして次の戦いに向け、意気揚々とした声の満ちる中に、一つの知らせが届く。
知らせを受け取り、急ぎ城壁を登り真偽を確かめに来たアシュヴィンは、現れた結果に低く笑った。
「喜べ、と言うべきか、わが后よ」
見据える先にあるものの姿に、千尋の顔が厳しく引き締まる。後に続く側近達が、動揺に声を上げた。
「これで葦原の地は開放された。――見ろ、兄君のお出ましだ」
示された先には砂埃の舞う、枯れ果てた常世の原野がある。
その下にうごめく人影の姿。絶対的な、数の力。
烈風に翻(ひるがえ)るその旗印。その、紋様の持つ意味する所は。
長年、樫原の王宮を占拠していた、ナーサティヤ皇子率いる精鋭軍。
その参戦を意味していた。