「どう言うことか分かるか?」挑発的な問いに、千尋は断固として挑んだ。
幸いなことに、リブの命に別状は無かった。
けれど無事とはとても言いがたい姿であった。そして、それは彼個人だけの話でもなく、常世の皇子率いる軍全ての姿をも現していた。
このまま戦を続けても、被害は増える一方だ。
即座に判断を下した二ノ姫と皇子の連合軍は、これ以上の損害を避けるべく、一路、東の岩砦(いわとりで)まで軍を退いたのである。
「アシュヴィン、ひとつ、聞きたいことがあるのだけれど」
順調に撤退を終え、ようやく全ての兵士を城門に迎え入れてのことだった。
傷ついた兵達の応急処置の指示を出し終えた千尋は、やはり同じように何かと部下に指示を飛ばしているアシュヴィンに向かって言ったものである。
「私に、何か手伝えることはない?」
「そうだな……」
あごに手をかけ、常世の皇子は思案した。ちらりと中を見て、また千尋に視線を戻す。
そして何か良いことを思いついたかのように口の端を上げて、
「ご報告申し上げます!」
駆け寄ってきた兵の言葉に遮られた。どうやらアシュヴィンはその報告を待っていたらしい。少し待てと千尋に言い置き、報告を始める臣下のひとりと二言三言言葉を交わす。
その傍で、千尋はきゅっと唇を引き結び、待った。
――焦ってはいけない。
無力なのは分かっていた。仲間とも、中つ国の兵達ともはぐれてしまった千尋は、姫と言う名を持つだけのただの娘である。多少の武芸の心得があってもそれは変わらない。
下手をすると、前と同じように、大人しくしていろと言われるかもしれなかった。けれど千尋は、彼と交わしたあの約束を信じていた。
――千尋の気持ちを考える――。
彼がこの約束を守ってくれる以上、何らかの答えが、ここに出るはずなのだ。
「ああ、その段取りだ。任せたぞ」
「はっ」
靴を鳴らして、兵は足早に駆けていった。そうして残された、千尋とアシュヴィン。
振り返ると、真剣な面持ちで千尋が見ていた。それをゆったりと見返して、アシュヴィンは言った。
「――散歩にでも、行くか?」
にやりと笑った常世の皇子に、今までに類を見ない爆発を千尋が見せたとしても。
彼女に否は無かったと言えるであろう。
「だから、誤解だと言っているだろうが」
「……」
ざくざく歩き続ける千尋の後ろを、困ったような呆れたような、微妙な顔をしてアシュヴィンが追いかける。
姫の怒りは解けないままだ。怒りに金色(こんじき)の髪が跳ね上がっているようにすら見える。
悪気は無かったのだ。ただ、いつものように答えてしまっただけで。
「いい加減話を聞け、千尋」
つい口が滑っただけなんだが。
「分かった。オレが悪かった。謝る。だから話だけでも聞いてくれないか」
ぴたりと、千尋の歩みが止まった。
怒りは解いていないけれど、話だけなら聞いてやろうじゃないか、と言うことらしい。ふざけた言い訳なら承知しないぞ、と無言の背中が語っている。
それにわずかに笑いを零して、アシュヴィンは一歩前に進み出た。
見ろ、と城壁の方に指をさす。
「分かるか?あそこに、わずかだが亀裂が入っている」
言われた先には、確かに、岩と岩との間にあって簡単には発見できないだろう、小さなほころびが生じていた。
「亀裂と言っても、些細なものだ。簡単には崩れることはないだろう。天災か、何か、特別な力が外から加わらない限りは」
どう言うことか分かるか?と振り返り、千尋を見る。
挑発的な問いに、千尋は断固として挑んだ。
「篭城戦ではもたないと言うこと?」
城を攻める時には、城砦攻略用の大規模な仕掛けを使う。その中に、城壁に衝撃を当て、壁を崩すというものがあったはずだ。
それを思い出し、口を開いたところで、しまったと眉を寄せた。
「今はする予定は無いがな」
ようやく口を開いた千尋を見て、アシュヴィンはにやりと笑っていたのだ。
――うまく乗せられた。
まんまと思惑にはまってしまった自分に、悔しい気持ちがこみ上げる。
むっと眉をしかめる二ノ姫とは対照的に、機嫌を良くした常世の皇子は満足顔だ。同時に、部下に指示を出すのも忘れない。
手が空いたら、補修工事を行うよう言い渡し、また千尋に意識を戻した。
次に示したのは、城内だった。
正面に通じる大門。その奥にある中庭。石造りの、幅の広い回廊。そこから通じる、いくつかの通路を指して。
「ここを攻めるとして、お前はどこから攻め入る?」
唐突に切り出された問いに、千尋はしばし言葉を失った。
真意を問うように、門の先を見据える皇子を見上げる。
「……アシュヴィン?」
「では逆に。この城が攻められたとして、お前はどうやってこの城を守る?――正門は当然だな。同時に、背後からの奇襲にも警戒が必要だ。城の東には、岩壁地帯がある。そこに伏兵も潜んでいるかもしれん。それに対する兵の配置はどうする?」
「それは……」
言葉を探しながらも、内心ほぞをかんだ。アシュヴィンが言いたかった事とは、まさか。
「『己の住む場所を知らなくて、何が守れようか』ムドガラに何度も言われた言葉だ。これのおかげで、オレは何度危機を乗り越えたか知れん」
どこかの城に赴くたびに、どう攻めるのか。どう守るのかと考えながら生きてきた。
おかげで常世の誰それが不穏な動きをした時も、先頭に経って、正確な指揮をすることができた。
幼い頃、親族の誰かが差し向けた刺客から逃れられたのも、こっそり抜け道を見つけておいたからだ。
知っておいて損は無いぞ。
肩をそびやかし嘯(うそぶ)く皇子に、千尋は苦い気持ちで向き合った。
だからなのか。だから、あの時も――今も、構造を覚えておけなんて言ったのか。
目で問う千尋にふっと笑い、アシュヴィンは大きく腕を組んだ。言葉も無く、二人はしばし見つめあう。
先に視線をそらしたのは千尋のほうだった。
伏せた顔を上げられない。浅慮な自分が、たまらなく恥ずかしかった。
それを非難するでもなく、何も言わずに、アシュヴィンは外套をひるがえした。ちらりと千尋を振り返る。
ついて来い、と言うことらしい。
顔を伏せたまま、やはり無言で、千尋はその後に並んだ。